再臨主は日本に誕生された!?

「日本は神側に立てられた国家」第1章より

 

長年の御言研究の結果、原理的観点から、”日本はサタンの国”ではなかったことが判明いたしました。それどころか、日本は神が約3000年の歴史をかけて導き準備を重ね、最も必要とし頼りとされる”神側に建てられた国”だったのです。今日まで統一教会では、原理講論や文先生の御言を根拠に、日本はサタン国家だから文句を言わないで蕩減をしなければならないと言われてきました。

特に重い蕩減として、日本に痛めつけられた「神(主)の国」である韓国のための償いが必要だと責め立てられてきたのでした。この内容を聞くたびに、日本人としてとても悲しくなり、「何でこんな国に生まれてしまったのだろう・・・」と、日本の歴史や先祖までを恨めしく思い、やるせない気持ちになっておられた方が多いのではないでしょうか。

 

しかし、文先生の御言を 分析整理することによって、文先生の御言は暗示や比喩が用いられており、まるで暗号のように語られておられたことが分かったのです。そして、その暗号を解読すると日本はサタン国家などではなく、人類の歴史を蕩減復帰するために建てられた神側の国家であったことが確認されたのです。従って原理講論の観点も大きく修正されなければなりません 。原理的にも歴史的にも、日本は素晴らしい精神文化を築き上げ、神がこよなく愛してこられた大切な国です。そして「メシヤ再降臨準備時代」において最も重要な働きをしたのは日本でした。

こんな事を書くと「何を言い出す!その時代こそ日本が韓国に対して残虐な行為を行った期間ではないか!」と反論される人たちが、統一教会内にはたくさんおられるだろうと思います。 実は、私も以前はそのように思っていましたし講義もしてきました。しかし、それがそうではなかったのです。神側の国かサタン側の国かは、原理的観点から判断しなければ、一般社会で言われている内容をもとに安易に受け入れて言うことはできませんし、もちろん、民族感情や政治的意図で評価できるものではありません。

特に歴史というものは事実を知ることが難しい事柄です。それは堕落人間の歴史が闘争に明け暮れてきたため先勝国家が自分達の都合のよいように歴史を歪曲し、ひどい場合は全く事実に反する内容が捏造されることすらあったからです。科学のように理論的整合性や実証性によって結論が出されるというよりも、多くの場合は政治的な思惑から何らかの意図により歴史が創作された可能性が高いからです。ここで詳細を述べることはできませんが、「従軍慰安婦」「強制連行」「南京大虐殺」などは明らかにそれに類するものだと言えるでしょう。

■再臨主が誕生された時代に韓国という国はなかった

もう一つ歴史を分析する時に見落としてはならない重要な視点があります。現在世界には独立した自治権を持つ国家が約200カ国ありますが、国家という言葉はもともとルネッサンス期の都市国家を意味するイタリア語「Stato」 とからきており、極めて近代的な概念であるため、歴史を中世古代にまで遡って検証し始めると「どこの国が」という定義が難しくなってしまうのです。 事実、世界の国境は何度も書き換えられていますし、歴史をさかのぼると「部族」や「民族」としての集団はあったとしても、現在の国家の概念を当てはめることができない地域もあります。韓国の建国も1948年8月15日に大韓民国として成立したのであって、厳密に言うならば1920年に再臨主が誕生された国は韓国ではありませんでした。

文先生がお生まれになられた場所も平安北道定州郡徳彦面上思里2221番地ですので、現在の朝鮮民主主義人民共和国だということになります。したがって、再臨主が誕生した国家は現在の国名で言うのであれば韓国ではなく北朝鮮になります。1920年当時の朝鮮半島は、世界地図で見ても国際的認識においてもその地域は「日本」でした。したがって歴史的な客観的事実として正確に表現するならば再臨主が誕生した国は日本だったのです。聖書の黙示録には、「もうひとりの御使が、生ける神の印を持って日の出る方から上ってくるのを見た」と書かれており、原理講論ではその聖句を根拠に「イエスが再臨される東方のその国はすなわち韓国以外にない」と結論づけています。

しかし、この原理講論の「定義」に当てはめて正確な表現をするならば、東方のその国は「韓国」ではなく「日本」だったのです。そして、世界の常識として、極東に位置し、日が昇る国も「韓国」ではなく「日本」ではないでしょうか。もちろん、これだけを根拠として、日本はサタンの国ではなく神の国だったと主張するつもりはありません。

話を少し戻しますが、国家の名前や概念は歴史を遡ると現在の世界地図とは異なった名前や国境線は持ち、人文社会科学的には国家という概念すら現在の「国民=国家」というものとは違うということを認識しておく必要があります。現在のある特定の構成体としての「国家」の概念を歴史を遡ってまで普遍的なものとして適用することはできないのです。

メシアを迎えるにあたって最も重要な「メシア再降臨準備時代」における国家をどのような原理的位置づけで評価するのか、あるいは、メシヤを迎えた後の国家をどう評価するのかは、その当時の状況を正確に見極めなければなりません。 原理講論によると、 「メシア再降臨準備時代とは、西暦1517年の宗教改革が始まった時から、1918年第1次世界対戦が終わるまでの400年間をいう。」(P510)と書いてあります。

したがって、この時代の歴史を研究すればどこの国が神に準備された「アベル国家=神側の国」で、どこの国がサタン的な働きをした「カイン国家=サタンの国」かが明確に判断できます。「メシヤ再降臨準備時代」とは大韓民国(韓国)においては、韓国建国以前の「李氏朝鮮時代」(1392~1910)がそれにあたります。そして、1920年に再臨主が誕生される直前の10年間も「メシヤ再降臨準備時代」に含まれます。この期間は、日本が朝鮮を併合した初期の時代でした。

日本の歴史でみると、1467年の応仁の乱を機に始まった戦国時代から、江戸時代を経て、大正時代の中頃までの約400年間がそれに当たるとみてよいでしょう。さて、メシヤ再降臨準備時代」における「李氏朝鮮」は果たして再臨主を迎えるための神側に立ち得る条件を満たしていたのでしょうか?

私は、朝鮮が神の準備された重要な地域(国家)であったことは間違いないと認識しておりますが、何故か、原理講論は最も重要なこの時代の朝鮮事情に関しては何も触れていません。しかし、この時代こそ私達の統一教会の食口が知らなければならない、大変重要な国家の原理的立場を決定する事実があるのです。

「日本は神側に建てられた国家」第1章より