日本が朝鮮に再臨主を迎える基盤を整えた!?

「日本は神側に立てられた国家」第2章より

 私も文先生から祝福を頂いている身ですから、主の国である韓国を尊敬し愛しています。キムチも大好き韓国冷麺はもっと大好きです。ある摂理を担当した時に何度も韓国に行き、各地を巡礼してお祈りもしてきました。しかし、残念なことに歴史的研究を進めていくと、原理的に必要なはずの「メシアを迎えるための条件」が韓国にはなかなか見つからないのです。

メシアを迎えるための条件は、当然のことながらメシヤを迎えた後に立てるものではなく、メシヤが誕生される以前に準備しておくべき条件です。従って、摂理的に最も重要な期間である「メシヤ再降臨準備時代」の「李氏朝鮮」にそれが成立していなければならないことになります。

これからお伝えする研究発表をご覧いただくと、韓国を深く愛して来られた食口の皆様は、大きなショックを受けるかと思います。しかし、私たちは史実から原理的観点により正しい判断をしなければ信仰生活や社会活動、国家の運命までも危険に晒しかねません。まず、「李氏朝鮮時代(1392~1910)」とはいかなる時代だったのか史実に基づき検証していきます。 

 李氏朝鮮は、日本が併合する1910年まで、人口の約3%の支配階級である両班による封建的国家体制が約500年間続きました。初期の段階から、かなり腐敗した政治が続いたことにより、国民は貧困を極め、奴婢といわれる奴隷階級の人々が人口の43%以上もおり、彼らは市場で売買され、過酷な労働を強いられていたのです。当時の朝鮮を訪れたイギリス人旅行家イザベラバードは、「朝鮮には二つの階級しか存在しない。盗む側(王族・両班)と、盗まれる側(平民・奴隷)だ」と記録しています。

また京畿道利川の生まれの李人稙(作家1862~1916)による「血の涙」には、「賤民は両班たちに鞭打たれて殺される。殺されても、殴られても、不平は言えない。少しでも値打ちがあるものを持っていれば、両班が奪っていく」と書かれており、自らの悲惨な国情を赤裸々に告白しています。

このような当時の韓国の状況を示す記録は数多く残されているのですが、ここにはこれ以上掲載することを控えます。李氏朝鮮の情報に関しては最近の日韓両国を取り巻く世情のためか、写真なども含め膨大な資料が書籍やネット上に掲載されていますので、詳しくはそちらをご参照ください。ただ事実に即した資料もあれば、かなりいい加減な物もありますので先入観にとらわれず、注意深く調べてみてください。

統一教会で教えられてきた韓国の歴史観とは、大きく異なる史実を数多く知ることとなるでしょう。

さて、原理講論には、サタン国家の定義として「反民主主義的な全体主義国家であるゆえにサタン側である。」(P546)と書いてあります。李氏朝鮮時代は、決して民主主義国家ではありませんが、全体主義国家にも当たりません。 李王朝と、ごく一部だけの官僚機構として支配階級にいた両班貴族の「独裁的な専制政治国家」というところが妥当でしょう。実は、このような李氏朝鮮の国状の大きな改革は、日本の朝鮮併合によってなされたのでした。下記にわかりやすく要点をまとめました。 

※日本の朝鮮総督府による改革

・封建的身分制度(反民主主義体制)廃止、民主化の促進

・奴婢(奴隷)を解放し、万民平等化

両班による人身売買の禁止

両班による拷問の廃止

キリスト教に対する徹底的な弾圧廃止(クリスチャン人口が1%未満程度だった )

朝鮮総督府の資金援助のもと日本組合基督教会に朝鮮宣教を命じキリスト教を拡大

・社会インフラの整備(当時の日本の国家予算から十数パーセントが費やされた)

・飢餓の救済のために農業技術の提供や土地の整備

・学校建設と学問の普及

・ハングルの普及など朝鮮文化や文化遺産の保護

統一教会で教えられる内容だけを学んできた人にとっては、どれもが信じられないことでしょうけれど、歴史の研究をしている人達は前項の箇条書きに挙げたような見解を主張している人も多々おり、それには、数多くの歴史的資料の裏付けが示されています。これはあながち否定できない事実ではないかと思います。

仮にこれが歴史的事実であれば、「メシア再降臨準備時代」の李氏朝鮮は、神側の国家としての原理的条件を持っていないことになります。むしろ日本がなした朝鮮併合によって初めて、再臨主が誕生するための条件を整えるために重要な基盤が構築されたと考えることができそうです。

1910年以降も、李氏朝鮮時代の社会状況がそのまま続いていたならば、朝鮮にメシアを迎えることは到底不可能だったと見ざるを得ません。そのために神が日本を導きわずか10年という短い期間で朝鮮半島の政治体制を改革し、学問や経済的な発展のために日本が尽力したという可能性も否定できません。

また、この時代に日本と韓国が一つの国となっていたことは、再臨主を迎えた後の時代に、韓国と日本が互いに協力できるようにとの神の計画だったとも考えられます。

もちろん、自国が外国から統治を受けたことに対して、快く思わない朝鮮の人たちの気持ちも理解しなければなりません。特に、特権階級の地位を追われた両班貴族の人達の恨みを買ったことは当然のことでしょう。

これは、後に、両班出身の李承晩大統領によって、徹底的な反日政策がとられ、親日的な人たちは激しい弾圧の末に、多数が殺害されたという事実からも知ることができます。しかし、神の思いは、いつも愛を中心とした調和にその本質があり、決して、隣国同士が対立することは望まれないはずです。私たち食口は韓国人である文先生を再臨主と認める立場ですから、互いの国同士対立するのではなく、仲良く協調し合う道を探さなければなりません。

そして必要なことは、左翼や右翼の偏った歴史観に影響されることなく、神の目、即ち頭翼的視野からしっかりと歴史を分析しなければなりません。摂理的には、本来、日韓は共に神の御旨を担うべき重要なパートナー国家ですから、現在の緊迫する極東アジア情勢から考察すると、一層の協力関係を強化しなければならない重要な二国間なのです。

カトリック教会と植民地政策

それでは次に、さらに本質的な「宗教的観点」から「メシア再降臨準備時代」の「李氏朝鮮時代」の実態と、日本の果たした貢献について確認してみましょう。

1410年頃からヨーロッパで始まった植民地政策は約500年間続きました。また1922年、マルクス・レーニン主義に基づき樹立されたソビエト社会主義共和国連邦から瞬く間に拡大された世界共産化の動きは、1991年、ソ連の崩壊後縮小したとはいえ、必ずしも止まってしまったというわけではありません。

中国、北朝鮮などは未だに堅固な共産主義国家体制が維持されたままなのです。次項に示した世界地図は、欧米によって植民地期植民地化された地域と、共産主義によって席巻された地域を合わせて記したものです。(時代によって状況が変化しているため大まかな図となっています)

「メシア再降臨準備時代(1517~1918)の日韓両国の原理的位置を正しく理解するためには、当時のキリスト教と、国際社会の状況を把握しておく必要があります。歴史的に見るとアジアにおいては日本・韓国・台湾・タイのわずか4カ国が、植民地支配や共産主義かかかから逃れているのですが「メシヤ再降臨準備時代」に欧米列強による支配を受けなかったことは奇跡的なことです。これには日本が果たした役割が大きかったのです。そして、摂理的観点からは、今まで統一教会で見落とされてきた、大変重要な理由がありました。

それを理解するためには、神側の重要な使命を果たすべき西洋のキリスト教が、歴史が進むに従ってその立場を複雑に変化させ、サタンの侵入を許してしまったという点に着目しなければなりません。第一イスラエル選民であったユダヤ教においては、サウル・ダビデ・ソロモンと統一国家を形成しながらも、三代目のソロモンの堕落により南北に分裂してしまいました。

そして、これと同じことが、第二イスラエル選民であるキリスト教にも起きてしまいました。神の復帰摂理の起源は、アダム・エバが堕落してサタンと一体となった時に、アダムを割き、善悪の表示体として、カイン・アベルに分裂したところにあります。

これは、両者が神への信仰基台を立て、善が悪を屈服して一体となることにより、それを条件として、再び神の子アダムを迎えるための蕩減復帰原理に則った摂理でした。しかし、カインがアベルを殺してしまうことにより、兄弟は分裂し摂理は崩壊しました。

そのため神の復帰摂理は延長され、ノア家庭・アブラハムの氏族、そしてイスラエル民族・国家へとより大きな蕩減条件を成立させるための戦いとなったのでした。

文先生はイスラエルの国はメシアを迎えるための着陸地だと説明しておられます。

 

神は世界を復帰するべく、その独り子を使わず前に、そのメシアを迎えることのできる信仰の基台を立てるために、個人から始めて国家へと拡大してその道を一歩一歩整えて準備しなければならなかったのであります。結局のところこの世界は、今日まで、ずっとサタンの世界でありました。もしメシヤがこの地上に準備された基台もなく来られるならば、サタン世界は彼を殺してしまうに違いないのです。

ゆえに神は一つの国家、即ち、御自身が支配することのできる一つの主権を打ち立てるためにこつこつと注意深く働いてこられたのであります。イスラエル選民はそのメシアを迎えるための準備の結果として生まれたのでありました。神は、イスラエルの国をメシアの”着陸地”として準備されたのです。(祝福家庭と理想天国ⅡP388 キリスト教の新しい未来)(み旨と世界P379)

この御言によれば、イスラエルが国家的基盤を整えなければ、メシヤはサタンによって殺されてしまうと語られています。このような重要な使命を担ったイスラエル選民が、腐敗堕落し国家を分裂させたということは、摂理的に致命的な失敗をしたということであり、また、キリスト教がサタンの侵入を国家的に受けたことをも意味します。荒い鳥がキリスト教という神の祭壇に舞い降りたのです。

それような立場に立ったキリスト教は、神が遣わす独り子(メシヤ=アダム)さえも殺してしまいかねません。かつてのユダヤ教がそうであったように・・・。

従って、キリスト教だからといって。すべてが神側に属しているわけではなく、逆にサタンと一体となり、サタンの役事を行うこともあり得るということを、原理的観点から理解しておかなければなりません。腐敗堕落するとサタン側に立って、信徒との霊肉の命さえも、弄ぶようになるのです。

それでは、フランク王国の東西分裂後、西洋のキリスト教カトリック)は神側にあったと言えるでしょうか。1095年から約200年間続いた十字軍戦争により、おびただしい犠牲者を出してキリスト教君主社会が崩壊し、不信仰を悔い改めない教皇たちはアヴィニョンに捕虜となります。 その後、教皇専制の機能を回復しましたが、指導者たちの腐敗と堕落が治まることはなく、宗教・政治・軍人・商人が手を結び、植民地政策や奴隷貿易がアフリカやアメリカ大陸だけでなくアジアにも拡大され、おびただしい原住民たちが殺害されていきました。その背後にはローマ教皇による指図がありました。 

1455年、教皇ニコラウス5世の回勅

「異教の国々を奴隷制のもとに置く権限を与える。宣教師は、布教地で優遇を受ける権利がある。彼らの言葉に耳を傾けず、彼らを迫害した者に対する戦争は正当である。」 

1493年、教皇アレクサンダー6世の回勅

「非キリスト教信者を奴隷にすることに許可を与える。彼らは野蛮な悪習を守りやめようとしない。こういう者の土地を占領し、武力で彼らを屈服させる戦争は正当である。」

このような、ローマ教皇から出された回勅は神の言葉として絶対的権威を持っており、宣教師や信徒たちはそれに従う義務を負っていたのです。その結果、アメリカ大陸ではイギリスやスペインなどによる原住民の絶滅政策が政府軍とともに進められインディアンの虐殺、インカ帝国やマヤ族の滅亡、アルゼンチンやウルグアイでも先住民族がほぼ完璧に抹殺されてしまいました。また、アジアでは、スペインがフィリピンのルソン島に東アジア地域全体の戦略統合本部である総督府をおいていました。

そして、日本・明(中国)・朝鮮などもその標的でした。当時は、イギリス・フランス・ポルトガルなども入り乱れて、植民地の争奪戦と奴隷貿易が繰り広げられていたのです。

日本も、1549年にフランシスコ・ザビエルが来日して後、豊臣秀吉が1587年にバテレン追放令を発令するまでの、わずか40年足らずの期間に、推定、十数万人の日本人が奴隷として海外に連れ去られています。当時は、宣教師たちが布教のために母国政府や商人の利益に貢献する必要があり、キリスト教の拡大のためには全て正当化されてしまう時代だったのです。

原理講論には次のように書いてあります。

キリスト教はすべての宗教の目的を達成するための最終的な使命をもって、中心宗教に立てられているので、復帰摂理の立場から見れば、この摂理の目的を指向するキリスト教の行く道を妨害するものは、何でもサタン側になるのである。したがって、キリスト教を迫害するとか、または、その発展を直接、あるいは間接的に妨害する国家は、みなサタン側になる。(原理講論 P542 第5章 メシヤ再降臨準備時代)

はたして、この説明をそのまま鵜呑みにして良いものでしょうか。日本は、当時のカトリックの宣教に対して早くからその危険性に気づき、キリスト教の布教を禁じ、踏絵などの弾圧やキリシタンの処刑を行い、ついには鎖国にまで至ったのでした。日本にとってキリスト教を禁止すること、鎖国政策を行うことは国家の存亡をかけた処置だったのです。また、李氏朝鮮においても、1801年、李王朝を守るためとの理由でカトリックの弾圧が強化され、辛酉教獄と呼ばれる弾圧でカトリック信者やそれに巻き込まれた者も合わせて数万人が犠牲になりました。

この後も1815年、1827年1838年1839年(己亥教獄)、1846年(丙午教獄)1866年(丙寅教獄)など、キリスト教に対する容赦ない弾圧が断続的に行われています 。

丙寅教獄では、パリ外国宣教会から派遣され朝鮮に潜入して布教に当たっていた司教他、フランス人司祭9名とカトリック信徒約8000名が捕縛され、拷問の末に虐殺されています。現在その場所は、ソウル市麻浦区合井洞にある切頭山聖地として観光案内にも掲載されています。

すなわち、原理講論のサタン側の国家の定義に従って日本と韓国を見ると、「メシヤ再降臨準備時代」においては両方の国が「サタン国家」となってしまうのです。では、なぜそのような国家に再臨主が誕生することは可能だと言えるのでしょうか。

その答えを探し出すためには、そもそも当時の欧米のキリスト教がいかなる立場にあったのかを原理的に検討する必要があります。当時のキリスト教会は、イエスが語られた「山上の垂訓」(マタイ5章3節~)にある「平和をつくりだす人たち」の御言を実践していたでしょうか。また、イエス様が自らの命を捧げて示された自己犠牲の愛の精神を受け継いでいたでしょうか。

もちろん、多くのキリスト教宣教師は、神やイエス様の愛を宣べ伝え、命がけで未開の地に出かけて行った善良で勇気ある人々だったと思いますが、重大な問題は、キリスト教統一王国が分裂した後、組織の中枢部にサタンの侵入を受けていたということです。この観点から原理的に分析すると、中世暗黒時代のカトリックは、とても神側に属していたとは言い難いのです。

だからこそ、神は、当時のカトリック教会に対してルターやカルヴァンなどを用いて宗教改革運動を導かれ、腐敗堕落したローマ教皇からの本部通達(回勅)よりも一人一人がイエス様の御言である聖書を読み、自分の両親に尋ね、神に祈りながら行くべき道を探し探させたのです。それは、異端審問や拷問などの数々の迫害を乗り越えて、熾烈な戦いの末に勝ち取った新しいキリスト教の夜明けとなりました。

それは、現在の統一教会の食口達がインターネットなどの通信手段手段を通して平和的改革運動を起こし、一人一人が文先生の御言を頼りに、自らの良心に尋ね、行く道を探し出そうとしているのと同じです。

プロテスタント(抗議者の意味)運動は、サタンが侵入した中世カトリックを分立し、神が必要とした善良なる信徒たちの覚醒のための重要な摂理でした。旧教から新教への宗教改革による大移動が必要だったのです。後に、奴隷貿易を禁止させたのもプロテスタントの信仰を持ったイギリスの議員によるものです。映画「アメイジング・グレイス」に描かれた、ウィルバーフォースらの努力と忍耐は涙ぐましいものでした。

当時のカトリック教会から見ると、プロテスタント運動はサタンの仕業に見えたでしょう。そのため、有無を言わさず追放(キックアウト)し、火刑やギロチンで残虐に殺していきました。しかし、神の目からは、プロテスタント運動が真に神の意思を受け継いだ重要な摂理的動向であり、神側に立てられた新しいアベルイスラエル選民達だったのです。彼らは、腐敗堕落した組織のリーダーが命令する言葉に従ったのではなく、聖書に書かれてある神の御言に従い、勇気をもって神を示す大海に船を漕ぎ出したのです。 

さて、話を元に戻しますが、神様はなぜ、朝鮮半島にメシヤは送ることができたのでしょうか。どのようにして、メシアを迎えるための具体的条件が成立していたのでしょうか。その答えは、日本が朝鮮併合時代に行った、日本政府の指示と資金援助のもと、朝鮮総督府によってなされた「日本組合基督教会」による朝鮮宣教によるものだったのです。日本人による、日本からのキリスト教宣教活動の結果、朝鮮半島全域には和製キリスト教が急激に拡大し、わずかの期間に”東洋のエルサレムと言われるほどに信徒が増え、至る所に教会が建てられ、無数の十字架が掲げられたのです。これこそが神の復帰摂理において必要不可欠な、再臨主が誕生される直前の朝鮮半島での出来事だったのです。それでは、神はなぜ日本という国を選んだのでしょうか。日本のどこに神が選ばれる原理的条件があったのでしょうか。 

「日本は神側に建てられた国家」第2章より