日本のルーツは古代イスラエル?

「日本は神側に立てられた国家」第5章より

戦後の日教組左翼教員による、自虐史観に染まった現代の日本国民には、日本人として生まれたことを恥ずかしく思う気持ちは大なり小なりあるのではないでしょうか。アメリカ、中国、韓国、北朝鮮、ロシアによる、反日政策のプロパガンダにすっかり汚染されてしまった若者たちの姿は、神の目から見ても残念で悲劇的なことだといえます。

統一教会では一般社会以上に、日本は悪なる サタン国家だという教育を二世達にまで徹底的に浸透させています。そして、永遠に要求され続くかに思える過度の蕩減献金・・・。これでは、日本の食口達は疲弊し、国の将来や神の摂理にも希望を抱けるはずがありません。

しかし、ありがたいことに最近の歴史学者文化人類学者たちの地道な研究により、日教組の教育や韓国の反日プロパガンダが、歴史を歪曲し、ひどい場合は全く事実にないことまでもが捏造されていたことが判明してきました。嘘も百回言えば本当になるという話もありますが、最終的には真実の屈服せざるを得ません。そのような意味でも、日本の学者や政治家にはできるだけしっかりした「事実」を発表して欲しいと思います。

 

日本語とヘブライ語の不思議な一致

さて今回、私達が検討したい重要なテーマは、さらに〝日本人のルーツがどこから来たのか〝ということです。

このことも、最近では学術レベルにおいて盛んに研究が行われるようになりました。歴史学文化人類学だけでなく、言語学や考古学などの分野にまで拡大されています。なかでも考古学は古代ギリシャ語の arkhaiologia (最初の学)に由来する言葉の通り、遺跡や遺物などの物的証拠から人間や民族のルーツを研究する学問で、最近では先端科学の力を借りて、正確な査証が得られるようになりました。まずは、言語学的な観点から皆様に紹介したいものがあります。

君が代は、千代に八千代に、さざれ石の、巌となりて、苔のむすまで」

言うまでもなくこれは日本の国歌です。作詞者は、第55代の文徳天皇(827~858)の第一皇子である惟喬親王に仕えていた木地師だという説が有力です。当時、この詞が朝廷に認められたことから、「古今和歌集」にも残され、鎌倉期・室町期には賀歌として親しまれました。

この歌詞の発音はヘブライ語にすると、

君が代は=クム・ガ・ヨハ

千代に八千代に=チヨニ・ヤ・チヨニ

さざれ石の=サッ・サリード・イシュ

巌となりて=イワ・オト・ナリァタ

苔のむすまで=コ(ル)カム・ムーシュマッテ」

と聞くことができるのだそうです。

そして、ヘブライ語の意味は

クム・ガ・ヨハ=立ち上がり神をほめ称えよ

チヨニ=シオンの民

ヤ・チヨニ=神の選民

サッ・サリード=喜べ神の国を相続する残された民よ

イシュ=人類の救い

イワオト・ナリァタ=人類が救われ神の預言が成就した

コ(ル)カム・ムーシュマッテ=あまねく述べ伝えよ

 

これを全文解読すると、ほぼ次のような意味になるそうです。

「立ち上がれ、神を讃えよ!

神の選民シオンの民は喜べ、

人類に救いが訪れ、

神の預言が成就した。

全地あまねく述べ伝えよ!」

ヘブライ語で聞いてみよう!

聞けない場合はこちら

これが、入学式や卒業式、オリンピックで金メダルを取った時に歌われている、私たち日本の国歌の意味だというのです。もちろん、学術的には公式に認定されたものとはなっていませんが、「君が代」に隠されていた日本人のルーツを示すものとして、重要な言語学的研究対象となっています。

このような内容は私自身が直接研究したのではなく、研究している人たちの話を伺ったり、文献やネット等を調べたものですので、 頭から鵜呑みにするわけにはいかないでしょう。もちろん、「トンデモ理論」として批判している人も少なくありません。こうした話には、様々な見解があって当然だと思います。

しかし、摂理的観点から日本という国を研究すると、いわゆる「日ユ同祖論」も切り捨ててしまえない、重要な示唆は与えるものがあるように思います。とりあえず、初めから切り捨ててしまわずに、まずは一つの興味深い仮説としてご紹介してみたいと思います。そのような立場から続きをお読みいただければ幸いです。

ちなみに、下の図に見られるようにカタカナとヘブライ文字もそっくりです。

 

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実は、私が親しくお付き合いしている元大学教授は、日本イスラエル親善協会の元理事で、イスラエル大使館でヘブライ大学教授 ケイダール氏をリーダーとした研究チーム数名と共に、日本とユダヤの関係を調べるため3年間に渡り、伊勢神宮出雲大社諏訪大社などの日本各地の神社や多くの遺跡などを調べたチームの一員でした。

この調査の結論は、「日本人のルーツはユダヤからの可能性が高く、神道の儀式や日本の文化には数多くユダヤのものが見られる」という内容でした。

1995年5月、学術的研究成果をまとめた70ページにも上ると発表資料、「日本語の起源に関する調査研究報告書」

(1995年発行、日本語の起源研究会・財団法人国際科学振興財団内)には、

大和言葉の定義は縄文時代から続いているものと考えられていて、(中略)  天孫民族と称する人々が日本列島に移動してきて、原住民の言葉に合わせて、ヘブライ語を当てはめて日本語ができた。その日本語が今の日本語の始まりであって、弥生時代と考える」と明記してあります。

現在までの研究により、多数の日本語がヘブライ語に共通する発音や意味を持っていることが分かってきています。前項に示した表は、その中のほんの一部です。

ただ単一民族と思われていた日本人のルーツに関する DNA 鑑定等の研究からは、どうも純粋な「大和民族」は存在しないようで、国際的な混血民族というのが正しいようです。

韓国ー24%

中国ー26%

沖縄ー16%

アイヌー8%

ヨーロッパ系他ー26%

(失われたアイデンティティ 

ケンジョセフ著   光文社)

このヨーロッパ系はインド・アフリカ・ペルシャからのものです。約3000年前の歴史の中で、多くの民族が日本に流入し、国際結婚を繰り返す中で多様な DNA となっているのが私たち日本民族のようです。そういう意味でも「大和」民族なのかもしれません。

日本の神輿とイスラエルの幕屋

文化人 医学的には、日本の神社や祭りの風習や道具が興味深い研究対象となっています。神社の赤い鳥居は、イスラエル民族が出エジプトをする際に、家の門に子羊の赤い市を塗ったことから受け継がれた「過ぎ越しの祭り」に由来するものといわれています。

旧約聖書には、神の啓示に従い、アブラハムがモリヤ山に息子のイサクを連れて行き、ナイフで殺害しようとした時、天使が止めに入り、イサクに代わって羊を神に捧げた話がありますが、これと同じような儀式が諏訪大社の「御頭祭」でかつて行われていました。

八歳頃の子供が御杖柱に縛られて、神官が子供に刃物を振り上げる仕草をした後に、別の人間が現れ、それを止めて子供が解放されるというものでした。そして、鹿の生首を捧げたのです。

この祭りについて、早稲田大学の教壇に立ち古代ヘブライ文化を教えたラビの M ・トケイヤーは、日本に羊がいなかったため鹿に転化したのだろうと話しています。同じく、イスラエルの前駐日大使であるエリアフコーヘンも著書(「太子が書いた日本人とユダヤ人中経出版)に記述しています。

毎年、7月17日は京都で祇園祭が盛大に行われますが 、このお祭りの元は「シオン祭り」だったと言われており、「えぃさ」「いっさ」の掛け声は、ヘブライ語では

「イサ」= 救い主

という意味になります。

また、この7月17日は、創世記8章4節に「箱舟は7月17日にアララテの山にとどまった。」と記録されており、ノアの洪水審判の後に箱舟が地に降り立ち、新しい時代が始まったことを意味する記念すべき日なのです。

従って、ユダヤ人は毎年この日に先祖の救いを祝って、感謝祭をしてきたのです。

そして、何よりも忘れてならないのは、この日は文先生が聖和された2012年9月3日が陰暦7月17日だったということです。

ご生前 、「先生は自分が霊界に行く日を決めている」と語っておられましたが、真に新しい時代の出発を意味する重要な日を選んで旅立たれたのかもしれません。

そのような観点から考えると、2015年は3年の喪が明ける意味深い年になるのです。

イスラエルの移動式幕屋は、日本各地の祭りの神輿そっくりで、屋根の上の「鳳凰」は、もともと契約の箱の上に飾ってあった「ケルビム」から由来していると考えられています。

契約の箱の下部には2本の棒を貫通させ、移動する時にはレビ族が肩に担ぎ、 鐘や太鼓を鳴らして騒ぎ立てました。 また、この2本の棒は、絶対に抜いてはならず、保管も棒を差し込んだままにする決まりでした。

聖書ではヨシヤ王(紀元前609年没)の時代に「歴代誌下」35章3節の契約の箱の記述を最後に、比喩的に用いられる以外に直接言及される部分はなく、失われた経緯についても不明です。

菊の御紋とダビデの紋章

また、イスラエルと日本をつなぐ証拠として挙げられるものに、伊勢神宮の石灯籠に刻んであるダビデの紋章があります。

「菊の御紋」と「ダビデの紋章」にはどのようなつながりがあるのでしょうか?

伊勢神宮の構造は、イスラエルの幕屋とエルサレム神殿に酷似しています。伊勢=伊佐=救い主の意味がありますので、伊勢神宮は、救い主を祀る場所を意味しているのです。

これも歴史のミステリーとして、一部の人たちによって研究されてきたのですが、ユダヤ天皇家のつながりを示すものかもしれません。 

 

「日本は神側に立てられた国家」第5章より

 

余談・・・

謎に満ちた「いろは歌

皆さんは、「いろは歌」をご存知でしょう。まことによく出来た歌です。音の異なる四七文字のひらがなを、一字も重複することなくすべて収めて、しかも一つの歌にしているのです。
 「いろはにほへと
  ちりぬるをわか
 よたれそつねな
 らむうゐのおく
 やまけふこえて
 あさきゆめみし
 ゑひもせ  す」
 これに漢字を当てはめると、一般には次の文になるとされています。
 「色は匂えど散りぬるを
  我が世誰ぞ常ならむ
  有為の奥山今日越えて
  浅き夢見じ酔ひもせず」
 すなわち意味は、
 「花は咲き、良い匂いを放つが、やがて散ってしまうものだ。同様に、わが世の中で誰が常に栄えていることがあろう。
 諸現象の奥山を今日越えて、もはや、はかない夢を見たり、酔ったりはすまい」
 ということになるでしょうか。
 「いろは歌」は、一般に平安時代の作と考えられています。作者は不詳ですが、弘法大師空海の作との説があります。この説は、空海空海ほどの天才でなければ、これほどの歌は作れなかった、との単なる憶測によるものです。
 この歌は一見するところ、仏教的な思想を歌ったものにも見えます。それで仏教界では、いろは歌は『涅槃経』の次の言葉の和訳、と主張しています。
 「諸行無常(すべては移り変わるものだ)
  是正滅法 (涅槃こそ真理である)
  生滅滅已 (生死を脱し)
  寂滅為楽 (滅ぼして真の楽を得よ)」
 たしかに一部は、いろは歌に内容が似ているようにも見えます。しかし他の部分は、ほとんど似ていません。
 国文学者の宮嶋弘氏や岡田希雄氏らは、いろは歌は、涅槃経の言葉とは意味において関係がないとしています。
 つまり、いろは歌=仏教説は、決して確実なものではありません。この歌はその起源に関して、多くの謎を持っているのです。
 じつは「有為(諸現象)の奥山今日越えて」の部分は、「憂ゐ(悲しみ)の奥山・・・・」なのではないか、と解する学者もいます。そうすると「いろは歌」は、
 「色は匂えど散りぬるを
  我が世誰ぞ常ならむ
  憂ゐの奥山今日越えて
  浅き夢見じ酔ひもせず」
 となります。こうなると、もはや仏教的な色彩はほとんどなくなり、ごく普通の歌とも取れます。
 また、クリスチャン的な感覚にもピッタリする、と言ってもよいのではないでしょうか。聖書に、次のような御言葉があります。
 「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ」(イザ四〇・六)
 「むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください」(詩篇一一九・三七)
 いろは歌は、これらの聖句に符合する部分が多いと言えないでしょうか。


いろは歌に組み込まれた暗号文

 いろは歌の謎は、作者に関してだけではありません。この歌には、二つの"暗号文"が隠されているのです。
 昔、戦前の小学校では、「いろは歌」は、その最後に「ん」または「京」の字をつけて、習字の手本にされました。
 その際いろは歌は、七文字ずつに区切って記されました。「いろはにほへと」で区切り、次に「ちりぬるをわか」・・・・といった具合です。
 しかし七文字ずつに区切るのは、文の流れからいって、きわめて不自然です。にもかかわらず、古来いろは歌は、七文字ずつに区切って記されてきました。
 たとえば、1079年の『金光明最勝王経音義』に記されたいろは歌も、七文字ずつに区切られ、七行で記されています。つまり「いろは歌」は、もともと七字ずつの区切りで七行になるように作られた、と考えられるのです。
 そこで、もう一度、七字ずつ区切ったいろは歌を見てみましょう。
 「ろはにほへ
   りぬるをわ
  たれそつね
  むうゐのお
  まけふこえ
  さきゆめみ
  ひもせ  
 ここで、上部と下部の太字で記した部分を読むと、上が、
  「いちよらやあえ(ゑ)」
 下が、
  「とかなくてしす」
 となることがわかります。「いちよらやあえ」は後で解説するとして、下の「とかなくてしす」は、「とがなくてしす」(咎なくて死す)と読めます。ひとつの文章になっているのです(歌の中では清音と濁音は区別されない)。
 「咎」は"とがめるべきこと"の意味で、罪のことです。つまり"罪がなくて死んだ"の意味になります。はたして、いろは歌に組み込まれたこれら二つの言葉は、一種の"隠された暗号"なのでしょうか。

じつは、平安時代等においては、歌人の間に、一種の暗号遊びが流行していました。一見何でもない歌の文句の中に、別の通信文を隠したのです。
 たとえば紀貫之の歌に、こうあります。
 「小倉山 峯立ち鳴らし なく鹿の へにけむ秋を 知る人ぞなき」(古今集 巻十)
 これには別の意味の言葉が隠されています。それは次のように五七調に区切るとわかります。
 「ぐらやま
  ねたちならし
  くしかの
  にけむあきを
  るひとぞなき」
 この頭の文字を横に読むと、「をみなへし」つまり女郎花となります。「秋の七草」の一つの名になるのです。
 何か重大な用件を暗号的に組み込むといったものではありませんが、このように文の中に花の名や鳥の名を折り込んで、雅やかな遊びとして愛好したのです。こうした歌のよみ方を、「折句(おりく)」と呼びました。
 また、暗号を各句の頭に置くことを「冠(かむり)」、末尾に置くことを「沓(くつ)」といいました。さらに、頭と末尾の双方に暗号を折り込むことを、「沓冠(くつかむり)」といいました。
 「沓冠」のおもしろい例として、次のようなものがあります。
 「もすず   
  ざめのかり
 ↓たまくら   も↑
  そでも秋  
  だてなきか
 これは、兼好法師が友人の頓阿法師に送ったもので、頭で「米たまえ」(コメをください)、末尾で「銭も欲し」(お金も頂戴!)となります。これに対する頓阿法師の答えは、
 「るもう    
  たく我せ  
 ↓はては来  ず↑
  ほざりにだ
  ばし問ひま
 でした。これは、「米は無し」「銭少し」となります。当時の人々はこのように、しばしば歌の中に別の文を入れて、楽しんだのです。
 そうであれば、いろは歌も同様の「折句」であるとも考えられます。そして頭の「いちよらやあえ」、および末尾の「とがなくてしす」が、共に意味を持った言葉であると、考えられるのです。

「いちよらやあえ」はイーシ・エル・ヤハウェ

 末尾の「とかなくてしす」が"咎なくて死す"の意味であるとすると、頭の「いちよらやあえ」は、一体何の意味でしょうか。
 現在の日本語或いは古語の中に、それに当てはまる言葉はあるでしょうか。いろいろ調べてみても、どうもありそうにありません。

 そこで、唐突に聞こえるかもしれませんが、ここでヘブル語(ヘブライ語)の言葉を取り上げたいのです。「ヘブル語がなぜ昔の日本の歌に関係するのか」という疑問については、後でお答えすることにしましょう。
 ともかく、そのヘブル語とは、
 「イーシ・エル・ヤハウェ
 という言葉です。これは「イチ・ヨラ・ヤアエ」に、発音的によく似ていないでしょうか。「イーシ・エル・ヤハウェ」は、じつは、
 「神ヤハウェの人」
 を意味する言葉です。「イーシ」は人、「エル」は神、「ヤハウェ」は聖書に出てくる神の御名です(詩篇八五・八、イザ四二・五、申命三三・一等参照。または、イーシ・ハーエローヒーム・ヤハウェともいいます――申命三三・一、出エ一〇・七等。なお「いちよらやあえ」をペルシャ語と解する人もいますが、根拠はないようです)。
 したがって、いろは歌に隠された言葉は、
  「神ヤハウェの人」
   (すなわちイエス・キリスト
  「咎なくて死す」
 となります。

ろはにほへ
   りぬるをわ
  たれそつね
  むうゐのお
  まけふこえ
  さきゆめみ
  ひもせ  
 さらに左上、左下、右下の文字を続けて読むと「イエスとなります。
 するとこれは、
 「神ヤハウェの人イエス、咎なくて死す」
 のメッセージを折り込んだ歌ということになるわけです。
 まさにキリスト教の思想です。
 私は、これは古い時代の日本にもやって来ていた景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)がつくったものと考えています。
 景教徒たちは、シルクロードを東に向かい、そのあちこちでキリスト教を熱心に伝えた人々です。唐の時代の中国で景教が栄えたことは、「大秦景教流行中国碑」などで、知られます。

 景教徒たちは、医療のない国に行っては医療を与え、教育のない国に行っては教育を与え、また文字のない国に行ってはその国の言葉に合わせて文字をつくって与えることまでしました。聖書を読んでもらうためです。
 じつは、日本のひらがな、カタカナがつくられた背景にも、古い時代の日本にやって来ていた景教徒の影響があったと私は考えています。そうした中、いろは歌もつくられ、またその中にキリスト教思想が折り込まれた、というのが最も考えられることです。
 いろは歌はまさに、古代日本にやって来ていた景教徒たちの伝道メッセージなのです。