信長・秀吉・家康は再臨型のサウル・ダビデ・ソロモンだった!?

「日本は神側に立てられた国家」第7章より

 

日本が神側の選民国家として果たして役割

目から鱗コペルニクス大転回

かつて、ガリレオが地動説を唱えた時、ローマ教皇庁検邪聖省(異端審問所)が彼を異端として無期懲役の刑に処し、全ての役職を剥奪しました。その後、バチカンガリレオ裁判を誤りだったと認め、ガリレオに謝罪したのは350年後の1992年のことでした。

コペルニクス的転回」という言葉があります。科学研究ですら、それまでの主張を大きく覆すことは至難の技ですが、宗教的なドグマの中にある教会に対し、異議を申し立てることは死罪を覚悟しなければならないほど危険であり難しいものでした。これは、今の時代も同じであり、統一教会においても同様の状況かもしれません。しかし、〝E pur si muove〝  (それでも地球は動く)ということが真実でした。

韓国至上主義の統一教会の教えや、それに基づく信仰を堅持しようとする人たちにとって、ここから記述する内容は、コペルニクス的転回を要求するものとなり抵抗があるかもしれませんので、先にお知らせしておきます。願わくは、冷静に理性的に是非を判断してくだされば幸いです。

本書で特に取り上げなければならない重要な歴史的内容は、豊臣秀吉朝鮮出兵韓国併合前後の摂理的意味に関するものです。そこには、日韓両国の国民が今までにない考えたこともない、神の計画に沿った摂理的に重大な意味があったのです。

 

日本にイスラエル統一国家が築かれた

神の復帰摂理の一番重要な目的は、地上に救世主を送ることです。そのためには、原理的な条件と基台が必要となります。

これまでに説明してきたように、ユダヤ教の失敗を蕩減復帰するために立てられたキリスト教の摂理は、フランク王国の分裂によりサタンの侵入を許すことになってしまいました。その結果、第一イスラエルが失った「統一王国」の蕩減復帰をしようとしたキリスト教の使命が失敗してしまい、第一、第二イスラエルの失敗を併せて蕩減復帰する必要が生じました。

その上、サタンの侵入を許したまま悔い改めない中世キリスト教会(カトリック)は、ますます腐敗堕落し、政治、軍隊、商人などと手を結び、全世界で植民地政策や奴隷売買を拡大し収奪と残虐な殺戮を繰り返していったのです。

そのような世界情勢の中にあって1517年から「メシア再降臨準備時代」を迎えた神は、いかなる方法で再臨主を送る準備を進められたのでしょうか。

この二代の選民の失敗は、ユダヤ教キリスト教の両方のルーツを持ち合わせた、実際の国家が再臨主を迎える前に準備されなければ蕩減復帰することができません。

しかも、再臨主は完成形の第3アダムであるため、失敗の許されない立場にあることをご存知の神が、隠された摂理を遂行されておられたとしても決して不思議ではないと思います。

実は、そのような隠された神の摂理が遂行され、再臨主を迎える準備がなされていた場所が、海という天然の要塞に守られた極東の小さな島国、日の昇る国「日本」だったのです。これ以降の内容は、御言と歴史を研究した結果わかってきた日本を中心とした摂理史観です。あくまでも仮説としてお読みください。

神は、紀元前約1000年頃にソロモンの統一王国が失敗したと見るやいなや、北朝イスラエル選民たちを導き、紀元前900年頃に大挙して日本に移民させた可能性があります。

その後、紀元前660年に大和平定に成功した神武天皇を即位させ、「大和の国」として、「イスラエル統一国家」を樹立したと考えられます。 そして、天皇家を立て、神道を日本古来からの宗教として、現在まで125代(2015年当時)に渡り、約3000年間も国の祭祀の長の位に置いてきました、

また、イエス様が十字架にかかられた後の、紀元200年以降には、イエス様に直接侍ったトマスたちの純粋なキリスト教信仰を受け継いだ原始キリスト教や、その流れを汲む東方キリスト教ネストリウス派(景教)が日本に伝来してきたというのも、原理的に見れば、事実であった可能性はとても高いと考えられます。

これらのキリスト教は、後に日本に入ってくる儒教や仏教とも調和的関係を築き、摂理的観点からは、まさに「宗教統一」のモデル国家樹立にも成功した可能性があります。すなわち日本は、神の摂理的な必要性から考えるならば、建国以来ずっと第一イスラエル選民の血統・伝統・信仰・文化を引き継いだ国家であり、後に入ってきたキリスト教の霊的血統圏にもある、第一・第二イスラエル選民圏である可能性が考えられるのです。

仮にそうであれば、日本において両選民圏が失敗した蕩減を実体復帰することが可能だといえます。

では、いよいよ復帰摂理歴史の目的である再臨主を迎えるための「メシア再降臨準備時代」に入って、神は日本をどのように導かれたのかということを考えてみましょう。イスラエル選民の蕩減として絶対的に必要としたものが、イスラエル選民による統一国家の再構築でした。

「メシア再降臨準備時代」に入る前の室町時代の日本は、天皇制を堅持しつつも、守護領国制により、各地の守護大名が領地を治めていましたが、後継者争いやお家騒動などに加え、守護大名同士の紛争が増加し国家は安定せず応仁の乱へと至ったのです。その結果、日本の都である京都は主戦場となり、壊滅的な被害を受け焦土と化してしまいました。

サタン国家をも凌駕する「統一国家」を立てなければならない神は、国家再編の摂理を急いで実行しなければなりません。そのためか、全国的規模で天下取りを目指す戦国時代に突入していきました。

その後、織田信長豊臣秀吉徳川家康の三大武将により、再び天皇を中心に戴くに平和で堅固な「統一国家」が構築されることとなりました。もしも、この三人が「イスラエル統一国家」の構築のための歴史的同時性として現れたのであれば、サウル・ダビデ・ソロモンの再臨型人物だった可能性がありますから、その特徴などが似ていなければなりません。

一代目のサウルは、家臣と共にイスラエルを率いてペリシテ人や周辺民族と勇敢に戦った人でした。しかし、ペリシテ軍との戦いで息子たちと共にギルボア山に追い詰められ、剣の上に身を投じて死にました。

二代目のダビデは、羊飼いから身を起こし、先代のサウル王に仕えた人です。ゴリアテを倒した武運で出陣の度に勝利をおさめ、サウルの仇であるペリシテ人を撃破した後、エルサレムに都を置いて全イスラエルの王となりました。後に、ダビデは中央集権的君主制を確立し、傭兵の軍隊を組織しました。また、国家を安定させるため人口調査を行い、課税制度を実施しました。

三代目のソロモンは、ダビデの妾にあたるバテシバの次男です。彼は神から知恵を授けられ、国の経済を発展させ、官僚制度を確立して国内整備を行いました。ソロモンはエルサレムに神殿を築き、イスラエル王国の領土は ユーフラテス川からガザにまで及び、国民が安心して暮らすことのできる豊かな国家を築きました。

こうしてみるとイスラエル統一国家」を築いた三代の王は、日本の三大武将の特性や業績に似ているようにも思えます。また、サウルやダビデが、士師サムエルから油を注がれて王の位を認められたように、秀吉も家康も神の祭事を行う天皇から国家の統治者(王)の位を認められました。旧約聖書の中に記されたものと同じ儀式が日本でもなされていたのです。

「日本は神側に立てられた国家」第7章より