緊急摂理!再臨主を迎えるためだった朝鮮併合とは?

「日本は神側に立てられた国家」第9章より

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日本は朝鮮を植民地化したのではなかった

1910年から日本が朝鮮を併合せず、李氏朝鮮時代がそのまま続いていたならば、果たして再臨主が朝鮮半島に誕生することができていたでしょうか?

これまでに説明したように「メシア再降臨準備時代」の李氏朝鮮は反民主主義的な独裁恐怖政治国家でありキリスト教に対して激しい弾圧を加えていた儒教単独の国家でした。その上、国民の半数近くが奴婢や奴隷たちが暮らす極貧状態で、教育や国家的インフラの整備もない、独立国家としての体をなしていない状況だったのです。

これでは、原理講論で主張している「神側の国家」の条件どころか、サタンが食い尽くしたような悲惨な国の姿に陥っており、再臨主を迎えるための基盤はどこにも見当たりません。それは、再臨主を誕生させる神の計画をサタンが知って歴史的に朝鮮を破壊していたからかもしれません。

しかし、神は、朝鮮半島に再臨主である文先生を誕生させる計画を変更することができない摂理的な理由から、イエスの十字架以降の約2000年間の歴史を導き準備して来られたため、何としても守らなければならなかったのです。

摂理的観点から分析すれば、朝鮮半島を飲み込もうとするサタンの勢力に対して、朝鮮独自でこれを防ぐ力がなかったため、日本を用いてそれを守らせんがために日清・日露戦争が勃発したとも考えられます。そして、再臨主が誕生する直前に至り、1905年から本格的に日本の手による「緊急救援摂理」として朝鮮併合を進められたのではないでしょうか。

朝鮮を守るために、多くの日本人の命が犠牲となりました。また、インフラ整備や貧困からの脱却のために、日本政府からの途方もない経済支援がなされ、工場やダムや道路が造られました。

1937年に満州国と朝鮮の電力確保のため水豊ダムが建設が開始され、湛水面積は日本の琵琶湖のほぼ半分に相当し、当時、総工費約5億円に上る巨額の資金を投じられました。太平洋戦争の泥沼化の中で、1944年3月、完成したダムの発電能力60万 kwh は世界最大級のものであり、1940年当時の日本国内の水力発電規模280万 kwh と比較してもその大きさが分かります。水豊ダムは竣工から60年以上経過した現在も北朝鮮の重要なエネルギー源となっています。

興南の硫安工場も、日本の資金によって建てられた農業支援のための 肥料生産工場だったのです。

李氏朝鮮時代は土地が涸れ農作物が育たず、飢餓状態に近かったため、国民を救済するため、日本人の手によって建設された工場で、その結果、農業生産率は急速に向上し多くの人たちを救済することができたのでした。

興南の硫安工場は、後に、文先生が許孝彬の失敗により送り込まれた強制労働所ですが、元は朝鮮の人達の飢餓状態を解決し生命を救うためのものでした。

欧米の植民地政策では、インフラの整備はもとより、植民地化した国民の生命を守り教育を施すということは絶対にしませんでした。なぜならば、収奪を目的とした欧米の植民地政策において、インフラ整備は自分達に必要な最低限の道路や港の確保する程度で、植民地化された国家のために巨額の資金を投じることはあり得ないことなのです。

また、朝鮮併合により伊藤博文が最も重要視したのが教育水準の向上でした。そのために、日本の師範学校を卒業した優秀な先生方が海を渡っていき、ハングル文字を教え学問を国民全体に普及させたのでした。

これもまた、欧米の植民地政策ではあり得ないことです。それは学問を教えることによって、まかり間違えば将来的には反政府活動家になる人を育成してしまう危険性もあり、植民地政策においては最も避けるべき事だったからです。

それではなぜ日本は朝鮮に対して、国家予算の20%とも言われるほどの巨額の資金を投じ、国民に学問を教え人材の育成に尽力したのでしょうか。その最も重要な理由は、欧米列強の侵略から日本を守るためには、地政学的に考えて、朝鮮がしっかりと立っていることがとても重要だったからです。日本が朝鮮を植民地化し領土を拡大したかったわけではありません。国家水準を向上させ経済的にも反映させることにより、両国民が互いに力を合わせて朝鮮半島に中国やロシアにも対抗できる自治独立国家が建設されることが、日本の安全保障にも叶うことだったのです。

もちろん和を重視する「大和魂」に基づいて、朝鮮の人達にも日本本土と同じように幸福になってほしいという思いもあったでしょう。それで、資金を惜しみなく投入し、日本の文化や文明は持ち込み、同じレベルの国民として友好的な関係を築こうとしたのでした。

併合の後、生活水準の向上により出生率が上がり人口が増加しました。また、日本の科学技術や産業機械が持ち込まれることにより急速に文明国家の仲間入りを果たす状況にまで至ったのです。このような事実からも、朝鮮併合が欧米の植民地政策とは全く違っていたことを明確に知ることができます。

そして何よりも、摂理的な観点から重要なことは、朝鮮の外的な環境整備だけでなく、再臨主を迎えるために最も重要な内的準備も整えていきました。それが、日本政府の国家予算による朝鮮総督府の資金援助のもと、日本組合基督教会によってなされたキリスト教の布教拡大でした。

日本人クリスチャンたちの伝道活動により、キリスト教は瞬く間に朝鮮全土に広がり、実に、この時朝鮮の歴史上初めてキリスト教が大復興し、東洋のエルサレムとまで呼ばれるほどになったのでした。これは、再臨主を迎えるための最も重要な基盤を日本が整えたという歴史的な功労といっていいでしょう。

このような、日本の血が滲むほどの努力の末、再臨主を迎えるための準備が整い、日本では内村鑑三らによる再臨運動が起き、朝鮮のキリスト教でも再臨主が地上聖誕されるという啓示が下りてきたのでした。

神は、朝鮮半島に再臨主を迎えるために、第一・第二イスラエルの血統的ルーツや霊的伝統から培われた日本の精神文化、そして何よりも重要だったのは「イスラエル統一国家」の蕩減復帰を成した勝利圏を、1920年までに朝鮮半島に連結しておかなければならなかったのです。

それは、そもそも神の摂理的計画が、アダム国家の朝鮮とエバ国家の日本とが一体となって、再臨主を迎えることだったからではないでしょうか。

神が日本をどの段階でエバ国家として認定していたかについては、別の機会で説明いたしますが、メシア再降臨準備時代に西洋のキリスト教摂理が崩壊していた中で、第一・第二イスラエルのルーツを持つ日本が、天皇を中心とした統一国家を樹立したことは、何よりも大きな実績であったと考えられます。しかし、残念なことに、このような日本の努力によって整えられつつあった神の摂理的基盤は、スペインやポルトガルと競って植民地政策や奴隷貿易に手を染め、アジアの覇権を狙っていた西洋キリスト教諸国の政治的思惑や、アメリカの覇権を握ろうとする野心により完全に破壊されていく結果となるのです。

「日本は神側に立てられた国家」第9章より