再臨主が1920年に誕生された理由とは?

「日本は神側に立てれた国家」第10章より

欧米のキリスト教は選任権としての使命を果たせなかった

神は、1620年にピューリタンたちが新しい信仰の地として求めたアメリカも、その後にサタンの手に堕ちていくのを見たに違いありません。 アメリカ大陸発見以降、スペイン・ポルトガル・イギリス・フランス人を始めとした多くの西洋人が北・中・ 南アメリカに移住していくようになり、スペインは初期にカリブ海島嶼を原住民の絶滅政策を進めて征服し、16世紀半ばまでにアステカ帝国インカ帝国を滅ぼして、南アメリカ西部から中央アメリカ、メキシコに至る地域を支配下におきました。その同じ時期にポルトガル南アメリカの東部を征服し、ブラジルと名付けたのでした。1640年代から1865年までは、アフリカ人とその子孫が合法的に奴隷化されていました、また、インディアン戦争と呼ばれる原住民の虐殺が18世紀末までの間行われ、推定で1000万人ほどいたインディアンは、白人による兵器や病原菌などの殲滅作戦により、1920年にはわずか35万人まで減少し、実に95%以上が死に絶えたのです。

イギリスが植民地化した地域はアメリカだけではありませんでした。イギリスから資源獲得や囚人対策を目的に、移民が大挙してオーストラリアに押し寄せました。彼らは原住民アボリジニの居所を襲い、放火して付近一帯の土地まで焼き払い根こそぎ奪っていったのです。

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1927年の日付で「今日の収穫アボリジニ17匹」と記された資料があり、当時は日曜日にアボリジニを狩りの獲物として楽しんでいたのです。推定900万人いたアボリジニは、現在30万人が生き残っているのみです。ナチスホロコーストを越える大虐殺が行われたのです。(50万人が住むタスマニア島では、その殆どが崖から突き落とされ、銃で撃たれて殺されました。)

アメリカは、1783年に「アメリカ合衆国」として正式に独立した後に、アジアに植民地政策の手を伸ばし始めました。1853年には、ペリー率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊が日本に来航し、日本統治計画を進めて行きました。また、アメリカとスペインはフィリピンの植民地権を競った末、1898年12月のパリ講和会議で米国が2000万ドルで購入し、アメリカの植民地としました。その後、米上院公聴会では、アメリカが殺したフィリピンの島民数を20万人と報告しています。そして、フィリピン人の文化は抹殺されていきました。

フランスは16世紀から20世紀にかけてアフリカ・アメリカ・中南米・オーストラリア・中国などに、植民地政策と奴隷貿易を盛んに展開しました。アフリカの奴隷海岸から連行した多くの黒人奴隷はヨーロッパだけでなく、中南米のハイチにも送られて酷使され、主に林業とサトウキビ・コーヒー栽培によってフランスに巨万の富が産み出されました。1697年、ハイチが独立承認を要請したおり、フランスはその代償として、当時、天文学数字とも思えるほどの金額、1億5000万フラン(約6000万ドル)を請求したのでした。以来、ハイチは莫大な賠償金と利払いが経済を圧迫し、独立と引き換えに世界最貧国へと転落したままの状態です。

スペインにより征服され、原住民絶滅政策により虐殺された数は、世界で2000万人~3000万人にも上っています。この数字を見ると、スペインの植民地政策の凄まじさが理解できるでしょう。

神やイエス様は、キリスト教諸国が殺戮を繰り返しながら領土拡大を進める残酷な所業をご覧になり、どれほど嘆かれたことでしょうか。もちろん、欧米のクリスチャンたちにもたくさんの経験な信仰者がいたことを忘れてはなりません。残虐な植民地政策や奴隷貿易に対して反旗を翻し、命がけで対抗していった人達もいました。しかし、サタンが主権を握ってしまった時代の趨勢に対して、それを止めるのは大変困難なことでした。

神の摂理においても、その時代の朝鮮半島は小さな島国である日本によって併合され必死に環境準備が成され守られてはいましたが、神は、日本や朝鮮、そして来られる再臨主の将来の運命をすでにお分かりだったのだろうと思います。

原理的に分析すれば、まず注目すべきは、キリスト教統一国家の分裂が、サタンの侵入を許す致命的な問題でした。これは、イエス様を迎えるための国家的条件を失ったユダヤ教と同じ状況です。キリスト教は、指導者たちが本来の信仰を失い中世暗黒時代に陥り、政治・経済・軍事面の人々と手を結び、全世界で収奪と殺戮の限りを尽くしてきました。キリスト教の世界宣教自体は神の摂理として必要なことでしたが、その実態はもはや本来の愛と救いの宗教としての使命から大きく逸脱した状態に陥っていました。

教会ヒエラルキーのトップが堕落し、中心をサタンが奪ってしまうと、摂理的観点からは、善き信徒達も含めて全てがサタンの側へと引きずり込まれてしまいます。それに加えて、肝心の再臨主が誕生する予定の国家である李氏朝鮮の惨状は目を覆うものがあり、そのままの状態でメシアが来られたとしても、神の御旨を達成できる確率はほとんど無かったように思えます。

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文先生の御言には、西暦2000年に至る80年前の、1920年に再臨主が誕生しなければならなかった理由は、キリスト教の失敗を蕩減するためであったことが暗示されています。

実際はイスラエルの人が一番なのではなく、彼らが対している神様の御旨が第一でした。同様に、キリスト教でも神様の御旨が第一でした。そういう伝統的思想を知らずにいてはいけません。イスラエル民族が自分たちを愛して神様の御旨を忘れ、キリスト教キリスト教の文化を打ち出して神の御旨を忘れました。(中略)  1920年から2000年までの80年間に、この世界を新しい世界につくらなければなりません。(牧会者の道  第6章 P1081~1083)

キリスト教の基盤を中心として、イスラエルユダヤ教キリスト教が責任を果たすことが出来ずに基盤を失ってしまったので、神様がお一人で、レバレンド・ムーンがお一人で立たなければなりません。(中略P32)  自分の計画があれば、計画した通りにしなければならないのではないでしょうか?80歳を中心として、先生が計画も無く、ただ闇雲にしてきたでしょうか?分かりますか?分かりませんか?(ファミリー2001/6   P13  米国50州巡回講演祝勝会)

これらの御言には、キリスト教が「神の御旨を忘れ」「責任を果たすことが出来ずに、基盤を失ってしまった」ことが指摘されています。選民の基盤を失った神様はたった「お一人」になり、再臨主が誕生される前に、すでに、再び選民の基盤を作らなければならない80年間が計画されていた可能性をうかがい知ることができます。

したがってこの御言からは、文先生が歴史の同時性として西暦2000年に再臨されず、その80年前の1920年に地上に来られなければならなかった秘密が解き明かされてきます。そうすると、私たちが統一教会で歩んだ期間は、天国建設の時代ではなく、第二イスラエル選民圏に代わる、第三イスラエル選民圏の建設にこそ時代的な使命があったということになりますです。

ですから、西暦2000年に文先生は古い祝福家庭の人達を集めて「天国入籍セミナー」を開催したのです。そこで語られた御言には、統一教会も韓国も天国ではなく地獄に属していたことが指摘されています。

天国に行くことができる人は、この死亡圏を抜け出さなければなりません。「自分」を抜け出さなければならず、「自分の家庭」を抜け出さなければならず、「国」を抜け出さなければなりません。 大韓民国韓民族統一教会を中心として見るとき、先生が生まれた国である韓国が、何の関係がありますか?この国も全て地獄に属しているのです。

(中略)「一度正しく生きてみよう」と思うならば、間違った生活の180度反対の道を行こうということです。(祝福家庭 18号 P17  2000年秋冬号  第一次「入籍のための祝福家庭婦人特別修練会」)

文先生は、その生涯においても、統一教会を発足されてから聖和されるまで、この歴史の期間を「計画も無く、ただ闇雲にしてきた」のではないのです。

日本は神様と再臨主と共に苦労し、統一教会時代に最も苦難の道を行くべきエバ国家として立てられたのです。それは、キリスト教の蕩減を払うための国として、新たな信仰の基盤を世界的に作るべき民族であり、第一・第二イスラエル選民のルーツを持った国家としての信仰的資質があったからに他なりません。

当然、サタンはそのような神側の国を徹底的に叩き潰すために襲いかかってくるでしょう。日本は260年間もの期間を鎖国し、海外に進出することもなく平和を維持していましたが、アメリカからの黒船の到来以来、鎖国を解き、国を大変革し富国強兵を謳って国家の自衛のために軍隊を強化して行かざるを得なくなったのです。

日本は韓国を併合し、再臨主を迎える準備を整えましたが、小さな島国で資源も人口も少ないこの国の運命は、巨大な欧米列強の手のひらに乗せられて、避けようのない事態へと引きずり込まれていったのです。

1941年12月、日本は、アメリカのルーズベルトとイギリスのチャーチルの密談によって、第二次世界大戦に巻き込まれてしまいました。

1944年9月、ニューヨーク州ハイドパーク両首脳の覚書により、日本への原爆投下が決定されました。

そして、1945年には、共産主義国家の指導者スターリンも加わってヤルタ会談が行われ、日本の分割統治と、ルーズベルトの要請により日ソ中立条約の一方的破棄とソビエトの対日参戦が約束されました。

これらの密約に則り、長崎に原爆が落とされた8月9日、ソビエトは協定に従って日本に宣戦布告し、満州に侵入、千島列島等を占領したのです。終戦時、ソ連が占領した満州・北鮮・樺太・千島には軍民あわせ約272万6千人の日本人がいましたが、このうち約107万人が終戦後シベリアやソ連各地に送られ、強制労働をさせられたと見られています。アメリカの研究者ウィリアムニンモ著「検証ーシベリア抑留」(時事通信社)によれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上は約34万人の日本人が死亡したとなっています。

戦中、度重なる空襲や人類史上初めて投下された原子爆弾により、神様がそれまで苦労を共にしてきた日本は焦土と化してしまいました。それにより本来、再臨主を迎えるべき日韓の統一された基盤が失われました、そして、韓国には両班出身の李承晩政権が樹立され、李氏朝鮮時代と同じような独裁的な李氏恐怖政治が始まったのでした。かつて、朝鮮併合時代に特権を奪われた両班などが反発し朝鮮独立運動が始まった以上に、熾烈な反日運動が行われました。

何と、親日派の人たち・反李承晩を掲げる人達・共産主義者と疑われた人などを合わせて、李承晩の命令で自国民が100万人以上虐殺されたといわれています。

アメリカは朝鮮の戦後処理において、大きな罪を犯しています。それは、戦時中にアメリカで徹底的に反日教育を施した李承晩を韓国大統領に据え、親米反日教育を推進し、親日家の自国民に対し熾烈な弾圧を加え完全に日韓関係を分断したことです。その結果、今日に至るまで韓国の反日教育は続き、日韓は対立的な難しい関係に陥っているのです。

1945年、文先生25歳の時、終戦を期に日本人は韓国から追い出され、アダムの国には文先生がお一人で立たれました。

韓国は「解放された」と万歳を叫び、全ての民族は「第二次大戦に自由世界が勝利した」と褒め称えることのできる環境でしたが、縦的な父母であられる神様と横的な父母であられる真の御父母様は、喜びではなく悲しみの行路を中心として、歓喜する環境から追放され、反対される道である家庭的荒野40年路程を行ったのです。

(中略)そのような事実を、皆さんは知らなければなりません、このことを考える時、苦労された神様の歴史を振り返って見詰めるとき、これは悲痛であり、無念であり、痛哭の歴史以外の何ものでもないという事実を皆さんは知らなければなりません。( ファミリー99/2  P14  「神の日」の御言)

神の摂理が分からない韓国の人たちは、日本の敗戦を祝い「韓国は『解放された』と万歳を叫び」ましたが、文先生の立てられた立場は「喜びではなく悲しみの行路を中心として、歓喜する環境から追放され、反対される道である家庭的荒野40年路程」の出発が決定した時だったのです。

したがって、その後の韓国での文先生の路程は悲痛なものとなり、最終的には第一の母と乳飲み子の聖進様を残して、たった一人で北朝鮮へと向かい、十字架の道である興南の強制労働所の地獄の世界へと入って行かれたのでした。

マッカーサーは、朝鮮戦争が始まり中国やソ連の恐ろしさを体験したことでようやく日本の、日清・日露戦争が自衛のためだったことに気づきました。そして、米国大統領トルーマンの命令に背いてまで北朝鮮との戦いを進めたのでした、この時、興南硫安工場の攻撃がなされ、文先生が救出されることとなったのです。

文先生は、興南で12弟子を立て、興南十字架路程の2年8ヶ月(32数)を越えてイエス様が33歳で十字架にかかった公生涯を取り戻し、復活した後の34歳、1954年に新しい第三イスラエル選民として世界基督教統一神霊教会の看板を掲げられました、

その後、文先生は個人路程としての7年路程を歩まれて、弟子をお立てなり、四十歳になられた1960年に御聖婚式が挙行されました。「父母の日」が制定されることにより、第二イスラエルの蕩減復帰の道を行くための〝家庭的荒野40年路程〝が実体的に本格的に始まったのでした。文先生の生涯路程で見れば、第二次40年路程の始まりです。

戦後の日韓関係が大変難しくなったように、統一教会内でも、韓国での反日教育と、日本国内での自虐史観教育により、日韓両国の食口達の正しい歴史認識ができなくなったために、韓国に対して一方的に〝日帝時代の蕩減献金〝を出し続けるという、おかしな状況へと陥ってしまいました、

朝鮮併合時代に朝鮮に在住し尽力していた日本人達は、戦後、財産を全て没収され命からがら日本へと帰ってきました。その上、日本国内においては、GHQ の政策により日本文化が葬り去られ、日本人の魂までもが奪われそうになったのです。本質的な意味での敗戦は、神が培ってきた日本人の精神が排斥され、個人主義や唯物左翼思想に覆われていったことだったのかもしれません。

原理的観点から見た時に、イギリスやアメリカはサタンの思想である共産主義国家の中心人物スターリンとも手を結んで、再臨主を迎えるための神の基盤を破壊したことにはならないでしょうか。果たして、原理講論でいうように、英米仏は「神側の国家」としての善なる枢軸国に属していたと言えるのでしょうか?

日本は「サタン側の国家」どころか、全く逆に、まさに神が約3000年もの長い歴史を導き、再臨主を迎えるために準備した「神側の国家」であったことがご理解いただけたことと思います。

そして日本は、再臨主と共に歩んだ第三イスラエル選民としての約40年間の統一教会時代に第一・第二イスラエル選民の失敗を取り戻したのです。すなわち、日本の国家的な蕩減時代は既に西暦2000年に終わったということであり、第三イスラエル時代も既に終わっているのです。摂理が終わっているのに、そこにしがみつこうとするのは、古い革袋に固執して、新しい時代に対応できなかった人たちと同じことになります。

終末時代は世が終わる時ではなく、新しい時代が始まる時です。古い船から新しい船に乗り換えて新大陸を目指す時が来ているのだと思います。

第三イスラエル時代に歴史的蕩減を晴らした日本は、21世紀の始まりと共に出発した「第四イスラエル天国創建時代」(2003年8月「第四イスラエル国出発宣布式)」に神が最も必要とする希望の国家であり、聖和後の「成約完成時代」の主役となる国家なのです。

どうか日本の食口の皆様、今までの誤った自虐史観に囚われず、日本に対する愛着と誇りを持って、神の理想の実現のために、勇気と希望を心に抱き新たな出発をしてください。

また、韓国食口の皆様は、是非とも李承晩時代から続く誤った反日教育を是正してください、そして、互いの国が神の愛の下に一つとなって、今後の重要な摂理を進めてまいりましょう。

「日本は神側に立てられた国家」より