なぜ「再臨論」は間違っているのか?

原理講論の「再臨論」から日本の立場を読み解く

「日本は神側に立てられた国家」第11章より

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反日の李承晩政権下で書かれた原理講論

最後に、原理講論の第六章「再臨論」の説明の矛盾を修正し、韓国や日本の立場を明確にしたいと思います。ただ、ここに詳細を記すのには限界がありますので、ポイントを絞って要点を簡潔に述べます。

原理講論の指摘する再臨論(P559~562)には、イエス様の誕生を例に挙げ「再臨の日のために準備することができるように」と記述されているので、時代的には再臨主である文先生が誕生される日の前までの「メシア再降臨準備時代」を前提としていなければならないことになります。

再臨論には次の項目があります。

第三節 イエスはどこに再臨されるか

(三) 東方のその国は、すなわち韓国である

「古くから、東方の国とは韓国、日本、中国の東洋三国をいう。ところがそのうちの日本は代々、天照大神を崇拝してきた国として、更に全体主義国家として、再臨期に当たっており、また、以下に論述するようにその当時、韓国のキリスト教を過酷に迫害した国であった。そして中国は共産化した国であるため、この二つの国はいずれもサタン側の国家なのである。したがって端的にいって、イエスが再臨される東方のその国は、すなわち韓国以外にない。

天照大神に対する崇拝は、これまでに説明してきたユダヤ教の蕩減復帰の必要性から考え、仮に、日本がイスラエル民族の血統を持った民族であれば、そして、天皇家がそれを継承しているのであれば、原理的観点からは必要なことだと言えるでしょう。

全体主義国家」ということに関しては、日本は明治維新以来ずっと民主主義国家であり、戦時体制にある特殊な一時期だけがそのような傾向を持っていたと言えるでしょうが、ただ、これはどこの国家であれ他国との国の存亡をかけた戦いにおいては、カリスマ的リーダーを立て、結束力を高めるために全体主義国家となるのは自然なことです。

全体主義とは、日本大百科全書の解説によれば次のように説明されています。

全体があるから個が存在するという論理によって国家利益を優先される権力思想、国家体制で、第二次世界大戦戦後の「冷戦構造」の激化の時代には、米ソが互いの政治体制を非難して(アメリカ側は「スターリン体制」、旧ソ連側は「マッカーシズム」と攻撃)全体主義と呼び合っていた。

ファシズムとは、「自由主義を否定し一党独裁による専制主義・国粋主義をとり、指導者に対する絶対の服従と反対者に対する過酷な弾圧、対外的には反共を掲げ侵略政策をとることを特色とした。」となっており、それこそまさに専制君主制を維持していた李氏朝鮮時代の姿であり、また、1948年から1960年まで国家を支配した、李承晩政権時代が該当するといえるでしょう。

むしろ1910年からの朝鮮併合期間は、日本の手により李氏朝鮮の独裁恐怖耐性が解かれ、民主主義を定着させたのではなかったでしょうか。日本は第二次世界対戦中でさえ、基本的には国会による民主主義体制が維持されていました。

「韓国のキリスト教を過酷に迫害した国」は、儒教のみに偏った信仰を持つ李氏朝鮮であって、日本の併合によって、逆に日本組合基督教会の努力でキリスト教朝鮮半島を全体へと拡大したのです。したがって、日本人の手によって拡大したキリスト教を、同じ日本人が「過酷に迫害する」ことは普通考えられないことで、実際は、朝鮮併合によって独占的特権を奪われた両班反日運動を煽動していたため、治安の維持のために取られた処置がわずかにあっただけです。

さらに、当時の日本では、キリスト教・仏教・儒教神道・そして数多くの新興宗教が混在していました。したがって、信仰の自由があった日本をして、「サタン側の国」という定義は当てはまりません。

また、原理講論では中国をサタン側の国家と定義していますが、中国が共産主義国家になったのは、1949年10月1日、国民党との内戦に勝利した中国共産党が全国統一することにより、毛沢東を主席として成立したのであって、当時の中国は「イエスが再臨される東方のその国」から除外される理由になりません。日本が満州に築いた環境は、神が中国やアジアに摂理しておられた、神を中心とした大東亜共栄圏への足がかりだったとも考えられます。

むしろ、李氏朝鮮時代がそのまま続いていたならば、朝鮮こそ除外される国の定義に当てはまっており、韓国には再臨主が来ないことになってしまいます。

本書の第一章で指摘しましたが、再臨主が誕生された国家は韓国ではありませんでした。韓国は1948年8月15日に「大韓民国」として成立したのであって、厳密に言うなら1920年に再臨主が誕生された当時の朝鮮半島は、世界地図でみても国際的認識においてもその地域は「日本」でした。

文先生がお生まれになった故郷は、仮に現在の国名で言うのであれば「韓国」ではなく「北朝鮮」になります。

次に第三章(三) の小項目として、

「 (1)  この国は蕩減復帰の民族的な基台を立てなければならない

韓国がメシアを迎え得る国となるためには、原理的に見て、天宙的なカナン復帰のための「四十日サタン分立の民族的な基台」を立てなければならないのである。」(中略)  「これがすなわち、日本帝国に属国とされ、迫害を受けた四十年期間であったのである。」

とあるのですが、「韓国がメシアを迎え得る国となるために」日本の朝鮮併合期間を持ち出すのは、時代的に大きくズレており、再臨論の定義に反します。再臨主を迎えるために必要な40年間の「サタン分立の民族的基台」が、原理講論に記述されているように「1905年の乙巳保護条約以後1945年解放される時まで四十年間」としても、なぜ「メシアを迎える国となるため」に必要な条件期間が、文先生の誕生後25年(1945年)までも含まれるのでしょうか?

更に疑問なのは、1945年の文先生が25歳の時には、金百文が失敗し、翌年9月18日には許孝彬も失敗したため、1948年5月20日興南強制労働所に収監されてしまったということです。

1945年は、韓国キリスト教が失敗したことが原理的に決定された年であって、再臨主を迎えるためのサタン分立のための40年期間として当てはめることはできません。サタン分立の民族的な基台は再臨主が誕生される1920年までの40年間でなければならないはずです。

そうすると、1905年の乙巳保護条約以後の15年間は貴重なサタン分立期間であったことになり、それは李氏朝鮮のサタン側の国に当てはまる条件を取り除いた期間でもあり、そのことを成したのは、他でもない「日本」だったのです。

日本によって、民主化政策がとられ、キリスト教の拡大がなされたために、朝鮮半島は神側の国家として立つことができたと見るべきではないでしょうか。そのために、朝鮮半島ユダヤ教の流れを継いだ神道と日本の伝統文化が持ち込まれ、天皇を崇拝することが願われたのです、

仮に、秀吉の朝鮮出兵(15092年)の時から日本が統治していれば、再臨主が誕生されるまで328年があり、李氏朝鮮は早くに姿を消し、日本の江戸時代の鎖国政策の中に組み込まれ、平和で豊かな国家となっていた可能性があります。また、ユダヤ教キリスト教の文化が調和した「大和の国」として、メシアを迎えるために十分な準備が整えられていたかもしれません。あるいは日清・日露戦争すら起こらなかった可能性もあります。

「(2) この国は神の一戦であると同時にサタンの一戦でなければならない

まず再臨されるはずの国を中心として、共産世界を天の側に復帰するための摂理をなされるということは確かである。それゆえ、イエスが再臨される韓国は神が最も愛される一線であると同時に、サタンが最も憎む一線ともなるので、民主と共産の二つの勢力がここで互いに衝突し合うようになるのであり、この衝突する一線がすなわち三十八度線である。すなわち、韓国の三十八度線はこのような復帰摂理によって形成されたものである。」

原理講論には、再臨されるはずの国は「神の一線であると同時にサタンの一線でなければならない」と記述されていますが、朝鮮半島が三十八度線で分断されたのは1953年7月27日に、板門店北朝鮮、中国軍両軍と国連軍の間で休戦協定が結ばれたことによります。これは、すでに文先生が誕生されて33年も経過しており、この年は再臨主が興南から解放された後、釜山の凡四洞でダンボール小屋から再出発した後の3年目にあたります。そして翌年、1954年には新しい選民圏としての統一教会が創設されたのです。

この説明は明らかに、時代的な整合性が取れていません。「再臨するはずの国」は神とサタンの一線としての「韓国の三十八度線はこのような復帰摂理によって形成された」となっているにもかかわらず、それは、すでに文先生が誕生された33年も後のことであるため、再臨主を迎える国家の条件として当てはめることは到底できません。むしろ再臨主の摂理が失敗したために、国家的分裂を起こしたと見るほうが原理的ではないでしょうか。

話が長くなりますので、これ以上の詳細な説明は控えますが、神を説かない儒教文化であった李氏朝鮮時代においては「(3)この国は神の心情の対象とならなければならない」という内容に一致しているとは言えないのではないでしょうか。

また、「 (5) この国であらゆる文明が結実されなければならない」も、当時の朝鮮の状況は貧困を極め、西洋や日本などの文明先進国と比べて、「文明が結実」している状態ではありませんでした。むしろ、日本にそのような状況が実現していたといえるでしょう。従って、再臨主が誕生する「東方のその国は、すなわち韓国である」との結論を導き出すことには無理があります。

以上のような理由から、原理講論「再臨論」に記述された内容は、初めに結論ありきとして、無理やり理由をこじつけ、「韓国は神側の国家」とし「日本はサタン側の国家」とするための、誤った説明であったとしか考えられません。その原因は、原理講論が執筆された時代が、李承晩の熾烈な反日政策下の影響を受けていたためだと思われます。当時、日本を良い国と主張することは虐殺されかねない状況でしたので、再臨主が生き残るためにも、統一教会が宗教団体として発展していくためにも、日本を悪なる国とせざるを得なかったのでした。

日本は「サタン側の国家」どころか、全く逆に、「蕩減復帰の民族的な歴史と国家的な基台を立て」「神とサタンの一線」で戦い、血と汗と涙の道を歩んだ「神の心情の対象」となり得る国であったのです。文先生が誕生される直前の1918年1月6日には内村鑑三が再臨運動を始めていたことから考えると、日本には再臨に関する「預言者の証拠」があったということにもなります。

明治維新以来、私魂洋才を謳い東西文明が融合した日本は、「この国であらゆる文明が結実された」状態となっていたのです。

次の図を見ていただけると、日本は神が約3000年もの長い歴史を導き、再臨主を迎えるために主要な宗教や文化・文明を準備した「神側の国家」であったことがご理解いただけると思います。

 

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朝鮮半島の歴史を知れば、多くの悲しみの歴史であったことは間違いありません。日本による併合も、当然、諸手を挙げて善しとすることができない複雑な民族感情がある事も理解できます。また、現在もなお三十八度線で分断され、多くの離散家族の皆様がおられることを思うと悲しみに堪えません。しかし、重要なことは歴史の真実とら神の摂理的な計画を正確に知り、謙虚に受け入れることではないでしょうか。

文先生が朝鮮半島に誕生された事実は、人類全てが尊貴の念を持って賞賛すべきことだと思います。その文先生の思想を受け継いだ私たちは、願わくはサタンをも赦し、世界人類の平和を実現すべき神の願いに則り、全ての国家が神側に立つことができるように尽力し続けて行きたいと念願いたします。

日本の食口は、再臨主と共に歩んだ第3イスラエルである統一教会時代も、蕩減復帰の民族的な歴史と国家的な蕩減条件を立て続け、神とサタンの一線で戦い、血と汗と涙の道を歩んだ神の心情の対象として、あるいは、第3アダムに絶対信仰で従うエバ国家として、神の摂理を支えてきたのです。

従って、文先生の「聖和」の後、これから成約時代の本番となる第4イスラエル天国創建時代も、日本は神にとって大切な「神側の国家」であることに変わりはありません。

ここに記述記述したしました内容は、まだまだ研究途上にあるものと認識しております。関心を持たれた方々のご協力のもと、是非とも一層深く確かな真実へと至りたいと思います。私は、日本に生まれ合わせたこと、文先生と共に苦労の道を歩めましたことを、心から感謝しております 。

そしてこれからも日本人としての誇りを持って、神の摂理に貢献したいと考えています。この大切な時代、皆様と共にこうしたことを分かち合えることを、とても有り難く思っています。

2015年9月4日

「日本は神側に立てられた国家」より

以上で「日本は神側に立てられた国家」は終わりとなります。

次回は、「御言と原理から読み解く摂理観」をお届けします。お楽しみに!