原理講論の誤り!堕落したキリスト教が神側に立つ原理はない

 「御言と原理から読み解く摂理観」

第2章 (2)より

 

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堕落したキリスト教が神側に立つ原理はない

フランク王国の分裂から約200年後、神の摂理にとってより深刻な分裂が起こります。1054年ローマ教皇を首長とするカトリック教会(西方教会)と、東方正教会コンスタンディヌーポリ総主教が相互破門し合い、東西に分裂(大シスマ)してしまったのです。原理講論には取り上げられていませんが、外的なフランク王国の分裂よりも、原理的にはこちらの方がより本質的で重大な摂理的失敗と捉えるべきだと考えられます。このキリスト教の分裂状態は現在においてもなお和解に至っていません。

※「大シスマ」に対して、単に「シスマ(教会大分裂)」といった場合、一般的には1378年から1417年まで、ローマとアヴィニョン、さらにはピサでもローマ教皇が「鼎立(ていりつ)三者が互いに対立すること」した事件を指します。

イスラエル王国が分裂した後、預言者たちが神の御心を伝え悔い改めを迫ったように、フランク王国分裂や大シスマの後も、神は摂理的人物を召命し、キリスト教の基盤を取り戻そうとされます。

しかし原理講論が、「トマス・アクィナス、聖フランシスなど、修道院人物たちが彼らに勧告して、内的な刷新運動を起こしたのである。しかし、彼もまた悔い改めず、堕落と腐敗に陥った」(P478)と説明しているように、中世法王庁の腐敗堕落した状態はその後も続きます。

このような事態に陥ったキリスト教会が、果たしてその後の歴史においても神の摂理を担う選民としての使命を持っていたのかどうか、原理的観点から再検討すべき重要課題ではないでしょうか。

ここで憂慮すべきことは、西洋キリスト教がサタンを分立できないままの状態であったならば、神の摂理を担うどころか、かえってサタンの手先のようになって世界人類を苦しめ、再臨主の道を妨害することさえあり得ることです。 事実、世界宣教の名のもとに略奪や殺戮を繰り返した植民地政策や奴隷貿易などは、ローマ教皇の回勅(全世界のカトリック教会の司教への公文書)により承認されて進められたものです。このような残虐行為は、キリスト教の背後にサタンがいたと考えれば納得できます。少なくとも、とうてい神の意思とは思えない悪行です。

教皇アレキサンダー六世の回勅

キリスト教信者を奴隷にすることに許可を与える。彼らは野蛮な悪習を守り、それを止めようともしない。こういう者の土地を占拠し、武力で彼らを屈服させる戦争は正当である。(「キリシタン時代の研究」高瀬浩一郎著岩波書店)

※これを根拠にインディアンやマヤ族に対して絶滅政策が執行されました。

また本来、キリスト教の最重要課題であるはずのメシア再臨に対する信仰も衰退していました。教義的には残っていたとしても、カトリック教会では事実上ローマ法王が罪を赦す権能を持ち、キリスト(メシア)の代身とされることによって、実質的には再臨を待ち望む信仰は失われていたのです。

サタンは、本来、神の選民であったはずのユダヤ教徒たちを使ってイエス様を十字架にかけました。同様に、西洋キリスト教(特にカトリック教会)が堕落したままであれば、サタンはそのキリスト教を通じて神の摂理を妨害し、再臨主をも殺害しようとすることも考えられます。 そして実際に、そのような状況の中で再臨主は誕生されたのでした。

神の摂理は東方へと進められ日本に辿り着いた

エス様が十字架にかけられた後、神はキリスト教を中心とした摂理を進めつつ、そのキリスト教が堕落してしまう可能性も視野に入れて、別の摂理を準備しておられました。イエス様の死後、パウロ達はローマなど西方伝道を開始しますが、その一方で十二弟子の一人トマスを中心とする一行は東方に向かい、西暦50年代初頭にはインドに到着して伝道を始めていたという記録も残っています。

さらに原始キリスト教シルクロードを通って朝鮮半島を通過し、極東の「日出ずる国」である日本に辿り着いていたということも、 考古学的観点から証明されつつあります。フランシスコ・ザビエルらイエスズ会の日本伝道の遥か以前にキリスト教が伝わっていたことは、ほぼ確実視されています。聖徳太子は、景教徒との親交があったと言われています。景教(ネストリウス派)は古代キリスト教の一派で、カトリックのマリア崇拝を否定しています。

聖徳太子当時の奈良は、シルクロードの終着点であり、国際的な都市だった。正倉院所蔵の様々なものに見られるように、そこにはシルクロード各地から多様な民族の渡来人がやってきていた。当時の奈良は街を歩けば肌の白い人、黒い人、褐色の人、黄色の人、目の黒い人、青い人など、様々な人が往来していた。そうやって日本に来ていた渡来人の中に 景教達もいた。』(『日本とユダヤ  聖徳太子の謎』久保有政著)

実際、ザビエル来訪よりずっと以前の宗教指導者であった空海親鸞の世界観や救済館には、キリスト教の影響が強く見られます。さらに日本の歴史を辿ると、日本人のルーツは古代イスラエルと深い関係にあり、ユダヤ教神道や風習として日本人の中で引き継がれてきたということが明らかになりつつあります。(この辺りのことは、「日本は神側に立てられた国家」の第五章第六章を参照) 

大和朝廷が統一した日本においては、ユダヤ教キリスト教が調和し、さらには儒教や仏教などの東洋の宗教までも和合し共存していたと考えられます。その後も、平安時代や江戸時代など、平和が長く続いた時代においては、芸術や哲学、忠孝精神、武士道など現在に至るまで継続する高度な精神文化が築かれています。日本の歴史や文化、国民性を見ると、ソロモン王国やフランク王国の分裂によって失われたイスラエル統一国家の基盤を取り戻すために古代から準備された、重要な摂理国家であったとしか思えないような事実がたくさん見つかります。

文先生が誕生された1920年当時、大韓民国はまだ建国されておらず、当時の地図を見るとそこは日本であったことが分かります。したがって、再臨主が誕生された国家は日本だったというのが歴史的な事実です。1910年に日本によって朝鮮が併合されることにより、地上に再臨主を迎えるための人間性教育や社会インフラの準備が成されていったのでした。史実を調べてみると、日本の朝鮮併合時代は、「七奪※」どころか逆に「七贈」の時代だったと言うべきなのかもしれません。

※「七贈」主権、国王、人命、国語、姓氏(創氏改名)、土地、資源の7つを、日本が奪ったという説。詳しい内容は「日本は神側に立てられた国家」をご参照ください)

マリア崇拝と韓鶴子女史の神格化の類似性

キリスト教史上における最大規模の分裂・東西大シスマ(1054年)は、サタンに侵入されたキリスト教を神が割いた摂理的分立の結果であったとも考えられます。そして、神の摂理を真の意味で担当したアベルキリスト教は、むしろ非主流派として追いやられた東方教会側にあったといえるかもしれません。事実、東方正教会の救済観やメシア、マリア等に関する教義には、文先生の御言に示された成約時代の原理に近いものが多く見受けられます。東方正教会においては、神やイエスを信じること(信仰義認)だけではなく、行いを伴う信仰こそが本来的意味の人間の完成を実現するものであるとされています。

救済とは人間が神の本性に似ていくこと(神化)であり、そのためには本人の自覚と努力が重要であると考えられています。これは、十字架を信じれば救われるというパウロ神学に基づく極端な他力信仰や、法廷論的な贖罪を強調し人間の努力による本質的な善化を基本的には容認しない西方教会よりも、人間の責任分担を重視する原理的救済観に近いといえます。また、東方正教会ではイエス様の母マリアを尊敬し讃えますが、神格化はしていません。マリアは私たちと変わらない普通の人として、原罪持って誕生した女性であると理解されています。

これに対して、ローマ・カトリック教会は近代になって教理(公教要理)として宣言した「マリアの無原罪の宿り」(マリアは両親から原罪を引き継がずに無原罪で生まれた)という考えに基づき、ある意味ではイエス様以上にマリヤを信仰の対象にして拝しているような風潮さえ見られます。(不思議なことに現在の韓鶴子女史を中心とする家庭連合の教義は、このカトリック教会の考え方と驚くほど類似しているものとなっています)

キリスト教の歴史において深刻な問題は、再臨主が誕生された1920年当時に至ってもなお、サタンを分立できないままの状態でありながら、全世界の多くの国々を軍事力や経済力で植民地として支配下に置き、再臨摂理の中心であったアジアにおいても覇権の拡大を進めていたことです。そのような危険な国際情勢下に再臨主が誕生されたならば、たとえ日本が神側に立てられた国家として尽力したとしても、再臨主と共に世界的な復帰摂理を展開し地上天国を実現することは、大変困難な状況であったと考えられます。事実、日本は欧米のキリスト教国家同士の戦争(第一次・第二次世界大戦)に巻き込まれて行きました。

覇権主義的な欧米に対して、日本はあくまでも自国防衛のために、また欧米諸国の植民地支配や人種差別から東アジア・東南アジアを解放するために戦いました。その過程で、外見的には欧米と同じような侵略行為に見られるようなところもあり、日本の行動がすべて善であったということではありませんが、基本的には五族協和という平等理念のもと、アジア諸国が共存共栄の新たな国際秩序建設を目指すという大東亜共栄圏構想が、その根底にあったことは確かです。そうした日本の働きがなければ、朝鮮半島全域が中国やソ連、あるいは欧米によって植民地化されていた可能性が高いのではないでしょうか。

中国や韓国・北朝鮮、そして日本国内の左翼陣営からは執拗に非難されていますが、神の摂理から見るならば、それはむしろ必要不可欠な日本の国家的使命であったと考えられます。

二度の世界大戦の原因となった反摂理的分裂

 1945年、アメリカによって原子爆弾が広島と長崎に落とされ、多大な民間人が犠牲となりました。日本の国土は焦土と化し、ポツダム宣言を受諾したのでした。これにより、神の摂理において本来は父母国家とならなければならなかった日韓関係が崩壊し、さらに韓半島は38度線から南北に分断されます。南では李承晩政権による徹底的な反日政策が施され、北の再臨主の故郷は金日成により共産主義国家となってしまいました。その結果、日韓両国において進められていた神の摂理が破壊され、再臨主が十字架の道(興南収容所)に追いやられることになるのです。

摂理的にみれば、サタンを分立できないままのキリスト教が、再臨主の歩みを妨害したことに、その全ての原因があるといっても過言ではありません、

第一・第二イスラエルを収拾して、その上に立つべきなのが韓国独立であり、韓国の情勢だったのです。そうであったのにキリスト教が反対してきたのです。 (中略)7年路程を中心として1952年に世界史的な出発ができたならば、先生が40歳にさえなれば、世界のいかなる為政者も一つにまとめて、一つの方向に向かって、地上天国の理念に移されていったというのが全般的な摂理観なのです。(「真のご父母様の生涯路程②」P60 韓国解放とキリスト教を中心とした摂理の出発)

第一次世界大戦で戦ったドイツとフランスは、どちらもフランク王国が分裂・対立してできた国家であり、その時の恩讐関係が西洋キリスト教に歴史を経て引き継がれ、他のヨーロッパの国々を巻き込んで世界戦争という形で再現されたと見ることもできます。

二つの大戦とも対立する国家群は、フランク王国を破滅に至らしめサタンの侵入を許した結果に分裂してできた3カ国のフランス・ドイツ・イタリアが含まれています。このように見るならば、第一次・第二次世界大戦は、フランク王国に侵入したサタンが、それらの国々は用いて起こした再臨主の摂理を破壊するための謀略だったとも考えられます。

原理講論では、第二次世界大戦において神側を民主主義国家の英・米・仏とし、サタン側を全体主義国家の日・独・伊と単純に分けていますが、これもまたより詳細な原理的かつ国際政治学的な分析が必要です。

日本や韓国(朝鮮)は、イギリスとアメリカの背後にあるサタンの謀略によって戦争に巻き込まれたのであり、神側に立った国家であったが故の被害国家であったとも考えられます。また、このような結果に至った原因を摂理的観点から分析すれば、やはりキリスト教内部にサタンが入っていたためであり、それは約1000年前のキリスト教大分裂(大シスマ)、そしてさらにそれより200年前のフランク王国の分裂へと遡ることができるのです。

「御言と原理から読み解く摂理観」より