神様の悲痛!誕生以前から分かっていた!

あなたは子供の人生すべてが生死の連続だと生まれる前から分かっていたならば、産むことができるだろうか?

 

神様の悲痛なる心情とは?

 

エス様と文先生が歩まれた摂理的同時性

では、再臨主の場合の本来の第一次摂理はどのように進められる予定だったのでしょう。前述したように、地上にメシアを誕生させ守り育てるための中心人物は「ザカリヤ家庭」であり、イエス様をメシア(復帰されたアダム)として迎えるために必要だったのが「許嫁マリアとヨセフ家庭」でした。この重要な摂理を失敗してしまったのですから、再臨主が誕生しその使命を果たすためには、蕩減復帰摂理の原則から同じような状況が再現されると考えられます。

エス様の個人路程においては、ご自身の責任分担であるサタンを分立してメシアとして立たれたとしても、その使命を摂理的に定められた期間内で果たすためには、堕落人間の中からあらかじめ選ばれた信仰基台持った復帰天使長型の中心人物との共同作業を成功させることが必要でした。

エス様の場合は、個人的勝利基準を立てた後に、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭を合わせた氏族の基盤を整え、次にイスラエル民族を動かし、国家基準を立てるまでの期間が18歳から25歳までの7年間でした。このような原理的な路程は再臨主の場合も、復帰原理を公式として、また摂理的同時性における蕩減条件としても必要となります。文先生も、「1920年に誕生された再臨主は1945年の25歳までに国家基準を立て、1945年から1952年までの7年間に世界基盤を整えなければならなかった」という内容の御言を語っ ておられます。

しかし、かつてのように「ザカリヤ」が神の御言に対する不信仰(失敗)を犯してしまうと、準備された選民圏の中心的な人々につながる道は失われてしまいます。信仰基台を立てるべき中心人物であったアブラハムが鳩を咲かず摂理を失敗してしまった時にすぐさま荒い鳥が祭壇の上に舞い降りたように、「ザカリヤ」の失敗は、メシアを迎えるための最も重要な祭壇である選民圏全てをサタンに奪われてしまう結果をもたらしてしまうのです。

したがって、たとえ再臨主が人間の責任分担を全うし、縦的路程を完遂することで個人的な勝利基準を立てたとしても、準備された中心的な家庭基盤が連結されなければ、氏族・民族・国家・世界の復帰路程の全てが閉ざされてしまうことになるのです。

文先生の成長期間を創造原理的に分析するならば、1938年に18歳で人間の個人的な責任分担を全うされ、第一祝福の基準に達せられたはずです。しかし残念ながらその時、人類の父母として立つための復帰されたエバとしての新婦を迎えることができませんでした。堕落人間の救いが父母によって重生されなければならないということから考えると、予定された原理的年齢で結婚できないということは、人類のメシアとして立つために必要な基盤が失われてしまったことになります。これは、再臨主の摂理において致命的な問題でした。

エス様の時は、ザカリヤの失敗により準備された選民圏で摂理を進めることができないことが分かった段階で、神は本来ならばザカリヤ家庭内でイエス様を迎えになければならなかった兄(カイン)の立場にある洗礼ヨハネを選民圏から連れ出し(分立し)、死海のほとりにあった荒野神霊集団と呼ばれていたクムラン修道院(エッセネ派)で修造の暮らしをさせながら第二次摂理の準備を進めたのでした。それは、いずれ弟(アベル)のイエス様を迎えるための苦肉の策だったともいえるでしょう。しかしながら、そのままではイエス様も洗礼ヨハネも2000年間のユダヤ教が立てた外的基盤を何も引き継ぐことができていない立場であり、逆にサタンは国家的基準を奪って摂理を破壊する条件を持っていたのですから、洗礼ヨハネが不信する前に、既に両者共が悲劇的な運命の中に飲み込まれていかざるを得ないという厳しい状況にあったのです。

ザカリヤ家庭が責任果たせなかったのです。洗礼ヨハネの家庭とヨセフの家庭が仲良く組んだなら、簡単に事は済んだのです。(中略P50)マリヤがイエス様を宿す時に、ザカリヤの家に行ったのでしょう。そうであるとすれば、イエス様が婚期を迎えた時、その親戚の家に訪ねて行って相談すべきではなかったのか。相談して、親戚結婚をすれば良かったのです。そうすれば、洗礼ヨハネがイエス様に侍ったことでしょう。家庭的にしなければならなかったというのです。それがどうしたことでしょう。ヨハネは放浪しながら洗礼を授けて歩いていました。「彼は必ず栄え、私は衰えるだろう」(ヨハネ福音書3章30節)という、そんなやり取りは本来する必要がなかったはずです。(「祝福67」P48~  祝福を受けた者たち)

 

洗礼ヨハネは、イエス様がザカリヤ庶子であったことを知っていたために不信につながったというような文先生の御言もあります。ザカリヤ家庭でのマリアの懐妊は、当時、巷では大きな噂となっていたというのです。イエス様の頭上に御霊が鳩のようにに下るという印を見たにも関わらず、洗礼ヨハネが最後まで信じ切ることができなかった背景には、そうした事があったのでした。

その結果、洗礼ヨハネは領主ヘロデ・アンティパスの命令により、惨めにも牢獄で首をはねられ処刑されてしまうことになるのです。

洗礼ヨハネによる第二次摂理・12弟子による第三次摂理の失敗

エス様当時の状況は、蕩減復帰原理の原則として再臨主の摂理の時にも再現されるようになります。イスラエル選民圏の中心的人物が摂理を失敗してしまうと、神は次の第二次摂理として新たな霊的啓示を下ろし傍系の群れを立て、新しくメシアを迎えるための臨時の基台を作るのです。

その基台は、次の段階に至るための新たな神メッセージを受けて始まるために、既存の教会における組織指導者からは、伝統的教義に反するものとして、どうしても理解されにくい立場に立たざるを得ません。それどころか逆に世を惑わす異端・霊的集団として排斥され、迫害を受けるようにさえなってしまいます。

エス様が洗礼ヨハネの下を訪れた時点で、既に本来の神の第一次摂理ではなく、予定外の第二次摂理でしたから、ユダヤ教の中心的立場にいた人たちが神の願う判断をするのは、とても難しい状況にありました。しかしそれでも、洗礼ヨハネがイエス様に言葉に謙虚に耳を傾け、メシアとして受け入れていれば、ユダヤ教を復帰することも決して不可能ではなかったでしょう。ところが残念なことに、第二次摂理の中心人物であった洗礼ヨハネ自身が神の御旨を悟れず、来られたメシアを受け入れることが出来なかったのでした。

 

それと同じように、再臨主のために準備されていた金百文や許孝彬も、神の啓示まで受け数々の霊的現象により導かれていたにもかかわらず、文先生を不信して摂理を失敗してしまったのでした。

しかし、仮に金百文や 許孝彬が文先生を受け入れていたとしても、洗礼ヨハネの時と同じように既に彼ら自体が異端として主流のキリスト教会から排斥された状態でしたから、やはりそれ以上の摂理的な段階に事を進めることは大変難しかったと予測されます。

一次・二次と失敗した神の復帰摂理は原理的には最後の第三次摂理へと延長されます。即ち、イエス様の時にはユダヤ教の教義をあまり知らないガリラヤ湖の漁師や取税人などイスラエルの指導者にはほとんど影響力がないどころか、逆に躓きを与えかねないような人たちを中心とした12弟子の基台(新たな氏族圏)に神の摂理が移行したのでした。

しかし、旧約聖書に対する無知と信仰の弱さから、彼らは信仰基台を立てることはできず摂理的基盤を失ってしまいます。ガリラヤ湖 周辺での彼らの伝道活動は、ユダヤ教本体の指導者たちにとってみれば、異端による羊泥棒であり、イエス様は「悪霊の頭」と映ったことでしょう。その結果、イエス様は、本来メシアを迎えるために準備されたはずのイスラエル選民によって十字架へと追いやられてしまうことになるのでした。

再臨主における第一次~第三次摂理の失敗

それでは再臨主を迎えるための、キリスト教を中心とした第二イスラエル選民の歴史はどうだったのでしょうか?  原理講論には、再臨主の御聖誕に関する中心家庭の内容や、誕生後の初めの摂理に関しては何も記されていません。また統一教会が行なってきた原理セミナー(修練会)では、原理講論の洗礼ヨハネに関する記述と同じく、洗礼ヨハネの再臨型人物として金百文の摂理が第一次摂理であり、それに続く許孝彬の失敗によって、キリスト教の基盤が崩壊し十字架への道が決定的になったかのような説明がなされています。

しかし文先生が御言を読めば、イエス様と同じように再臨主もザカリヤ的人物を中心とした第一摂理から始まったということが分かります。そしてそれが失敗してしまった後に、1945年10月から第二次摂理として準備されていた金百文と許孝彬を訪ね、許孝彬が失敗した1946年9月18日に激しい拷問を受けることによって第二次摂理も終わってしまったと解説されています。

もちろんその後の第三次摂理の内容も御言には示されています。それは第二次摂理が失敗後のイエス様が一人寂しく ガリラヤ湖の周りを歩き、中心摂理から最も遠い立場にいた漁師たちを訪ねたことと同じ状況にあります。つまり、金百文と許孝彬の失敗により激しい拷問を受けた傷が癒えない状態で、文先生は弟子が止めるのを振り切って一人で伝道に出かけられたのでした、これがイエス様のガリラヤ湖周辺の殿堂に重なる再臨主の第三次摂理です。

 

その集団(腹中教)の失敗のゆえに、先生が別の人々を探さなければなりませんでした。先生は、条件的な数を求めることの出来る時までそこで歩まなければならなかったのです。監獄から釈放された後に、先生は他の集団と関係を結び、その人たちを導きました。先生が教会運動をするや否や、食口の数が増加したのです。 既成教会の牧師たちは、彼らの教会の多くの信徒たちが先生のところに来たため、先生を告発したのです。それで先生は3度目の投獄となったのです。その日は1948年2月22日でした。(ファミリー 1994/5  P 28  統一教会史)

3度目の投獄」は、イエス様の十字架と同じ意味を持つ〝再臨主の興南強制労働所での十字架路程〝でした。

 

それゆえ先生も全て失ってしまいました。父母も否定しなければならず、子女も否定しなければならず、全部別れてしまったのです。先生一人しかいません。世界がこのように分かれるので、韓国が分かれないはずがありません。サタンが放ってはおかないのです。(「ファミリー1997/9」P33  第7回7.1節)

 

第三次摂理としての文先生の伝道活動は、キリスト教本体の指導者には異端による羊泥棒として映ったでしょう。イエス様の時と同じように、彼らが待望していたはずのメシアが悪霊の頭に見えたのです。文先生は、メシアの再臨を待ち望んでいたはずの既成キリスト教の牧師たちの告発によって、1948年2月22日、内務省に拘束され、その後5年の収監刑が宣告され5月20日興南強制労働所へ収監されたのでした。

 

このように再臨主の場合も、本来準備された選民圏を中心とした摂理が三次にわたって失敗してしまったために、「全てを失ってしまい」「父母を否定しなければならず、子女も否定しなければならず、全部分かれてしまった」のでした。その蕩減条件のために立てられた第一の母や、当時まだ乳飲み子であった聖進様を犠牲にしつつ、自らも十字架の道に向かなければならなくなったと語っておられます。再臨主を迎えるために摂理的に準備された家庭・氏族・民族の基盤を完全に失った以上、国家的な基盤にもサタンが侵入するのは必然的なことですから、「韓国が分かれないはずがありません」。韓半島が南北に分断されたのは、中心家庭とキリスト教における三次にわたる摂理の失敗が原因だったのです。

 

南北分断の摂理的要因と国際情勢的要因

 

終戦直前の1945年4月5日に 日ソ中立条約(不可侵条約)を一方的に破棄し、8月8日に日本に宣戦布告したソ連は、(実際はモスクワ中央電信局が日本電信局に送信しなかった)、翌日の9日には圧倒的な軍事力を投入して国境を越え満州国や日本領樺太に進攻します。混乱に乗じて半島を支配下に置こうとするソ連の動きに慌てたアメリカは、北緯38度線を境に分割占領することを関係諸国(イギリス・中華民国)に提案。その後、ソ連平壌に、アメリカが仁川に軍隊を派遣して軍隊が敷かれ、1948年8月15日に韓国、9月9日に北朝鮮がそれぞれ建国を宣言し、南北の分断が固定化されます。このような事実からも、また摂理的な観点から考察しても、朝鮮半島の38度線による南北分断が、日本によって成されたのではないことは明らかです。分断の原理的な要因は、キリスト教が摂理を失敗したためであり、国際情勢的には、世界共産化を加速するソ連と、それを阻もうとするアメリカとの力関係によるものです。

 

1950年6月25日には、北朝鮮軍の南侵によって朝鮮動乱が勃発します。1953年7月27日に休戦協定が結ばれるまでの3年間、韓半島全域が戦火に曝され、両軍合わせて100万人近い兵士が命を落としています。さらには戦場が南北に激しくを移動したために一般市民も巻き込まれ、北側で約250万人、韓国側で約133万人と、膨大な数の犠牲者を出しています。

 

原理講論「摂理的同時性の時代」(P436)には、第一・第二イスラエル選民が失敗を繰り返してきた歴史が詳細に記述されています、この解説に基づくのであれば、かつてユダヤ教がサタンの主管下にあったように、西洋キリスト教の国家基盤もサタンに支配されていたと考えるべきでしょう。さらに欧米の植民地政策により世界中の国々がその列強の主管下にありました。したがって日帝時代、仮に日本が韓半島にメシアのための内的信仰の基盤と外的なインフラを整えていたとしても、それ以降の再臨主の路程はとても難しく過酷なものとならざるを得なかったでしょう。

また、もし日本が再臨主を迎えるために重要な役割を果たす国であるならば、サタンは共産主義や欧米のキリスト教を用いて、再臨主と共に日本をも破壊するように画策するでしょう、実はそれが、日清戦争日露戦争、そして第一・第二次世界大戦時に日本や朝鮮が国家存亡の危機に陥った摂理的原因だったのです。

 

第二次世界大戦時の神側国家とサタン側国家の矛盾

 

原理講論は、第二次世界大戦時において、連合国を「神側の国家(キリストを支持する民主主義)とし、枢軸国を「サタン側の国家(反キリストの全体主義国家)」として位置付けています。

 

第二次世界大戦は、民主主義によって結託した米、英、仏の天の側国家と、全体主義によって結託した独、日、伊のサタン側国家との対戦であった。それでは、どうして前者は天の側であり後者はサタン側なのであろうか。前者はアべル型の人生観を中心として、復帰摂理の最終段階の政治理念として立てられた民主主義を根本理念とする国家であるから天の側である。後者はその政治理念がカイン型の人生観を中心としており、反民主主義的な 全体主義国家であるゆえにサタン側である。また、前者はキリスト教を支持する国であり、後者は反キリスト教的立場に立った国家であるので、各々天の側とサタン側とに区別されたのである。(「原理講論」P546 メシア再降臨準備時代)

 

しかしサタン側とされたイタリアはカトリックの総本山であり、ドイツはルターを輩出したプロテスタント発祥の国です。世界大戦勃発時点においても紛れもなくキリスト教国家でした。もちろんこれまで述べてきたように、その信仰は腐敗してサタンの主管下にあったことは事実ですが、それは原理講論で「神側の国家」とされたアメリカ、イギリス、フランスにおいても同じことです。そもそも、その腐敗したヨーロッパのキリスト教社会の中からマルクスの提唱した共産主義は出現したのでした。いわばキリスト教が産み落とした鬼っ子だともいえます。

さらにおかしなことは、明らかなサタン側の中枢にいたはずの共産主義国ソ連も、連合国側として位置付けられているということです。原理講論は、この「捻じれ」を次のように説明しています、

 

それでは第二次大戦において、サタン側の国家であるソ連はなぜ天の側に加担するようになったのだろうか。法王を中心とする西欧の中世社会が復帰摂理の目的を達成できない立場に立ったとき、神はこれをカインとアベルの二つの型の人生観の世界に分立して、共産と民主の二つの世界を成し遂げていく摂理をなさらなければならなくなっていた。ところが、封建社会専制君主社会や帝国主義社会は、みなこのような摂理を成し遂げようとする天の側の行く道を妨げると同時に、サタン側が行く究極の道をも遮ることになるので、天の側とサタン側とが手を組んでそれらの社会を打破するようになったのである。(「原理講論」P548  メシア再降臨準備時代)

 

この説明に納得できた人は、どのくらいいたでしょう。「天の側とサタンの側が手を組む」というようなことが、本当にあるのでしょうか。唯物論共産主義に基づくソ連は、明らかに反キリストであるばかりでなく、民主主義と全体主義という対立の構図からみても、ソ連こそ、どこよりも全体主義的だったはずです。

 

フランク王国の分裂やキリスト教の東西大分裂により、欧米のキリスト教国家自体がサタンの支配下にあったということを踏まえると、原理講論が説明する第一次世界大戦の主要国・英米仏や独・墺も、第二次世界大戦の主要国・英米仏と独伊もキリスト教国家だったわけですから、どちらもサタンが主管する国家同士が対立し、兵器を使って血を流した戦いであったと見ることができます。歴史的に見れば、ソ連を含む欧米諸国は、極東の小さな尻尾のような国であった朝鮮や日本を植民地化しようとしていたのであり、むしろ日本は、その欧米列強から朝鮮を守った国であったとも考えられます。

 

神側のキリスト教文化圏が反対した。だから、サタンが頭を持ったんだから、しっぽを天が取らなければならない、(「祝福家庭と理想天国」P889  全体蕩減 1983年)(「御旨と世界」P871)

 

先生を英米仏が追い出したので、サタンが上の方を取ったので、神様はサタンの使い残しを取らざるを得ないのです。日本自体も、戦後はみんな焼け野原になってしまったし、ドイツも焼け野原になっていたのです。そこになぜアメリカを加えたのかというと、アメリカは先生の恩讐であり、神様の恩讐だからです。文先生追い出したチャンピオンなのです、(「男性訪韓修練会御言集」P262  蕩減復帰の峠を越えましょう! 1995年)

 

西欧キリスト教文化圏と東欧キリスト教文化圏の争いが、第二次世界大戦です。一つの兄弟の争いです、(「平和の主人、血統の主人」P87  )

 

これら御言から分かるように、ヨーロッパのキリスト教国家圏やアメリカも決して神側の天使長国家の立場にあったのではありません。第二次世界大戦当時の国際情勢を摂理的観点から分析すると、英米仏もソ連もサタン側に属し、神と再臨主の摂理を破壊しにかかっていたと見ることができるのではないでしょうか。極論すれば日本(当時、日本であった韓半島全域を含む)以外は、全てサタン側であったと言っても過言ではありますないかもしれません。もちろん、当時の日本の行為全てが正しかったというわけではありません。あくまでも、メシアを守るわずかな国家基盤として、日本が神側に立てられた国であったということです。