蕩減復帰の地獄が決定した文先生の嘆き

再臨主における母子協助とカイン・アベル勝利

「文潤國氏が再臨型ザカリアの立場にあった」という主張に対して、統一教会は「文先生の母親である金慶継女史が妊娠する頃は、文潤國氏は牢獄に入られていたため、それはあり得ない」と否定しています。しかし当時の朝鮮の刑務所は今の日本の刑務所のように厳重な管理下にはなかったとの話も聞きますので、決して不可能であったとは言い切れないのではないでしょうか。また、統一教会からの反論として、再臨主の父親が「儒教の家であったというのは、再臨主の命を守るための神様の特別な知恵であったと考えることもできます。」

(「誤りを正す」 P209)と主張していますが、これこそが原理を無視した勝手なこじつけであると言わざるを得ません。

私たちが解明しなければならない最も本質的な課題は、文先生が再臨主として誕生されたのであれば、その出生の方法も必ず蕩減復帰原理に則っていなければならないということです。復帰原理の原則に沿って考察するならば、第二イスラエル選民圏を代表するようなな内外の中心的な立場にあった文潤國氏がザカリヤの立場にあり、その妻がエリサベツの立場であったはずです。そこにマリヤのような信仰を持った女性がおり、神の命令に絶対信仰で、従ったならば、復帰されたアダムとしての再臨主を生み出すことが可能となるのです。

※ここでマリヤやエリザベツの位置におられたと考えられる金慶継女史や文潤國氏の妻が、キリスト教の信仰を持っておられたのかどうか、歴史的な資料がないために分からないのですが、当時は日本からキリスト教の大伝道団が朝鮮半島に渡り、短期間で全国的に教会が建てられていた頃でもあり、二人の女性が密かにキリスト教を信仰していたとしても、それほど不思議なことではありません。文先生が再臨主であったという立場から分析するならば、文先生を誕生させたマリヤ的位置にいる女性もクリスチャンでなければならないはずです。ただ、その当時の歴史的な資料が不足しており正確なことが分からないため、「こうだ」と断定する明確な解答が出せません。したがってここでは原理的観点から「こうあるべきだ」「こうでなければならない」という解答にならざるを得ません。

神が準備した「ザカリヤ家庭とヨセフ家庭」である「文潤國氏と文慶裕氏の二家庭」が氏族圏として共に暮らしメシアのための基台を確立していたならば、イエス様の時に失敗した氏族的蕩減復帰が成立していたことになります。もしそうなっていたとしたら、サタンの讒訴をメシアが直接受けることはなく、再臨主の十字架路程も避けられた可能性が高くなります。

旧約聖書には、タマルが義父であるユダとの性関係によってイスラエルの血統を遺したという記述があります。再臨主の出生においても、ヨセフ氏族圏内にイエス様の霊的血統であるキリスト教徒の男性が義父の兄弟しかいなかったのであれば、命懸けの信仰で神の血統の子女を生み出す女性の摂理が展開されていたということも十分あり得るでしょう。

文先生の御言には、実母・金慶継女史がのタマルやマリヤと同じような信仰的な試練の蕩減を越えて、神の声に絶対的に従って再臨主を誕生させたと推察されるようなエピソードが語られています。

私がこのような人になる事を母は既に知っていたのか、身内で私しか信じる人がいないと思って、私が何か言えば、母はどんなことでもしたのです。ですから蕩減復帰も知らずに、母子協助が、全てなされたのです。また、私の兄は、弟である私に対しては絶対的でした。カインの立場で完全に蕩減できる基台が自然に造成されたのです。歴史上に数多くの兄がいて数多くの弟がいましたが、兄は弟である私に対して、他の事は分からなくても、自分の弟は歴史的な弟だと知っていました。ゆえに、私が何か言うことに対しては、絶対的に従順でした。私が「こうだ」と言えば、そのまま100%信じ、疑いがありません。ゆえにカイン復帰がなされました。また母子協助も終わっていたのです。(「真の御父母様の生涯路程②」P56 氏族的信仰基盤と真のお父様)

この御言は、文先生には特別な使命があるということを金慶継女史が知っておられた可能性を示唆しています。さらに母子協成勝利されたとも明言されています。母子協助とは、カイン・アベルの一体化のための母の使命であり、ヤコブの長子権復帰を協助したリベカの役割がそれにあたります。文慶裕氏の家庭内においては、兄の文龍壽氏と弟の文先生との関係がカイン・アベルであり、またエソウとヤコブの関係になります。そもそも、アベル・カインの一体化はアダムを取り戻すための蕩減条件だったので、それが成立したならば、再臨主が復帰されたアダムとして立つための重要な要件になったと思われます。

旧約聖書にはヤコブがエソウを屈服させたという長子権復帰の内容が記録されていますが、キリスト教の歴史にはそのような内容が見当たりません。そのため文先生ご自身のご家族の中に、兄と弟という立場が現れたと考えられます。再臨主が長成期完成級を越えて実子圏に立つためには、すべての人にとっての公式路程である縦的8段階を原理原則に則って越えて行かなくてはなりません。文先生の個人路程の場合、「僕の僕」から「僕」に上がるためのヤコブ路程において、兄の文龍壽氏が原理的原理的エソウの立場に立っておられた可能性があります。

文先生は、金慶継女史の母子協助によって、「兄は弟である私に対して、他のことはよくわからなくても、自分の弟は歴史的な弟だと知って」「絶対的に従順」に従うことができたと、文龍壽氏のことを讃えておられます。それは、ヤコブがエソウを「まるで神を見るようです」と賛美した聖書の記述にも似ているようにも感じられます。

繰り返された「ザカリヤ家庭」の失敗

それでは、ザカリヤの立場にあったはずの文潤國氏は、文先生に対してどのように接しておられたのでしょうか?

天は本当に家庭的によく準備しておいたのです。私の従祖父が、私と共にいたならば、孫から全部教育を受けて、牧師でもなんでも全て辞めていたはずです。(「真の御父母様の生涯路程②」P56 第1節 解放を前後した摂理的基台)

ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一体となって、イエス様の33年生涯の目的であった、氏族的メシヤとしての使命的責任を果たすべきでしたが、それができないことによって、無念で恨めしい十字架の道が、この地上に広がりました。(「ファミリー2001/2」P6 第34回「真の神の日」午前零時の祈祷文)

これらの御言からは、再臨主の為に神が準備された第一次摂理における家庭・氏族があったことが分かります。再臨主における最初の重要な摂理はザカリヤ・ヨセフの氏族的環境の中で、文潤國氏が文先生から原理教育を受けて自らの使命を悟り、文先生に従って行くことでした。しかし現実はそうなっていません。文先生は文慶裕氏の家庭で育てられ、その家庭は再臨主が10歳ぐらいの時にキリスト教に改宗するまで儒教を信仰していたと伝えられています。文潤國氏と文慶裕氏の二家庭が共に生活していた形跡は見られません。これはメシアが本来準備されたイスラエル選民圏の中心家庭・氏族圏内で育てられなかったということを意味しています。

文先生は幼少期の頃の様子については、まだまだ資料が乏しく詳細な研究が進んでいないため、明確な証拠を示すことは難しいというのが実情です。しかしイエス様の時の状況や原理的観点から見て再臨主は、文潤國氏と文慶裕氏が共に暮らすザカリヤ・ヨセフ氏族圏の中に生まれ、守られながら成長するというのが、神の第一次摂理であったのは明らかです。

再臨主が立つべき根本的基盤としての中心家庭や氏族の基盤が崩れた結果、イスラエル選民(クリスチャン)を率いて国家基盤を作るという第一次摂理が不可能となり、1938年から1960年までの真の父母を立てるための縦的摂理や横的摂理が破綻してしまったのです。

ザカリヤ家庭とヨセフ家庭の親族が一つになれば、その国が回り、国が回れば、世界が回るようになるのです。(中略) 本来、第二次世界大戦以後に祝福をしていたならば、エデンの園の本然から出発していたはずです。しかし、来られた真の父母が追い出されたのです。(「ファミリー1997/7」P8 統一教会創立43年記念日)

この御言にある「ザカリヤ家庭とヨセフ家庭の親族」とは、その後に続く「第二次世界大戦」という言葉でも分かるようにイエス様の時代の話ではありません。文先生を支えるはずだった家庭基盤の崩壊は、第三章でも取り上げた下記の御言にも語られています。

それゆえ先生も全て失ってしまいました。父母も否定しなければならず、子女も否定しなければならず、全部分かれてしまったのです。先生一人しかいません。世界がこのように分かれるので、韓国が分かれないはずがありません。サタンが放ってはおかないのです。(「ファミリー1997/9」P33 第7回7.1節)

本来のキリスト教の摂理が失敗せず、再臨主を誕生させる 家庭が責任を足していたならば、文先生は1938年の18歳の時、人格を完成して実子圏に立たれた直後に結婚しておられたでしょう。そして1945年までの7年間で第一次家庭的路程を勝利され、上記の御言に「第二次世界大戦以後に祝福をしていた」とあるように、氏族・民族・国家基盤の上で人類救済のための「本然の祝福式」を主催しておられたはずです、そうなればその時点で「エデンの園の本然」の摂理が出発していたでしょう。

しかしながら、「エデンの園の本然から出発していたはず」という御言は、結果的にそれが出来なかったということを物語っています。イエス様の時と同じように、再臨主の第一次摂理であったザカリヤ・ヨセフ氏族の基台が崩壊した結果、実体救済を成すべき成約時代は開門できなかったのです。

したがって、それ以降の再臨主が行うべき摂理においては、第二イスラエル圏であるキリスト教の失敗を蕩減復帰してからでなければ、再び実体的な成約的救済摂理時代に入ることは、どんなに命がけで歩もうとも、どれほど能力があったとしても、原理的に不可能なのです。それは、文先生がメシアとしてではなく、イスラエル圏をまとめる洗礼ヨハネのような立場に立たざるを得ないということを意味しています。