韓女史の立たれた摂理的位置

それでは、1960年に再臨主と結婚された韓鶴子女史はどのような摂理的な位置付けとなるのでしょうか?  十字架(興南)後の文先生の歩みは、イエス様が十字架から復活した後と同時的な路程になるため、 下記の図に示したように数理的法則としての内容が驚くほど一致しているのが分かります。

聖書にイエス様の再臨は「雲に乗ってくる」と書いてあったためか、再臨主が興南の十字架路程から解放された時に、実際に雲の中にイエス様の姿が現れた写真がアメリカ軍の爆撃機 (B 29)の機内から撮影されています。これは、再臨主の出現を知らせる現象ではなく、イエス様の霊的復活によりキリスト教が出発したように、再臨主を中心として再びキリスト教の蕩減復帰時代が始まったことを象徴する印であったと捉えるべきです。

文先生は十字架から復活された後、朝鮮動乱の只中、東海岸にある興南から西海岸の平壌まで歩いて帰り、そこに40日間留まって以前の弟子たちを訪ねられました。それは、イエス様が十字架から復活した後に40日間、ペテロ等の弟子たちを再び訪ねられたことと同じ摂理的意味がありました。

エス様が十字架に付けられつけられた時、弟子たちが逃げていったので、その集団の中で誰か、先生を信じる人がいなければなりませんでした。金氏(金百文)位置にいる一人を復帰するための条件を立てるには、先生が刑務所から帰ってきた時に、先生に従うメンバーの数が刑務所に入った時と同じでなければなりませんでした、その金氏の役割を果たした人物がいました。それが金元弼でした。そこには3人の女性もいました。(中略)  先生はそのような人数を神側に復帰したので、南韓で霊的な摂理を始めることができました。そこから統一教会が始まったのです。(「ファミリー1994/5」P40 統一教会史)

南韓で霊的な摂理を始めることができました。そこから統一教会が始まったのです」という御言からは、統一教会キリスト教を蕩減復帰するためためのものとして立てられたものであり、必然的にその時代は実体的な救済ではなく、キリスト教と同じ〝霊的救済圏〝に留まざるを得ないということが分かります。

そして次の摂理として、イエス様の時は、十字架復活後に弟子を訪ねた40日間と、新しい選民圏を出発させるための準備期間10日間を合わせた50日間の後に、地上に聖霊が送られ、ペンテコステが起きています。それが再臨主の時には40日間の弟子を訪ねた期間と、その後の10年間の準備期間となって表れます、即ち、40+40=50 数復帰が成された時の1960年に、聖霊を象徴した立場で韓女史が再臨主の新婦として立たれたのでした。

ここで注意しなければならないのは韓女史が摂理的使命として聖霊を象徴する立場に選ばれたことと、神が本来、再臨主の相対として予定していた復帰されたエバの立場に立つことは、原理的な意味が異なるということです。

1960年の御聖婚式は 神の願った再臨主の本来の結婚式ではなく、地上に新しい選民圏を築くための家庭基盤を作る条件的儀式であったと考えるべきです。それは、これまで述べてきたように、御聖婚の時の韓女史の年齢や、「洗礼ヨハネの妹」ではなかったという事実、そして「原理が分かっていなかった」という御言からも、容易に推し量ることができます。

韓女史御聖婚前の個人路程

本然の祝福は、個人完成(個性完成)をして、神の実子となった者同士が受ける祝福です。1960年の御聖婚当時、個人完成における原理的年齢に満たない17歳で、原理も何も知らない韓女史が第一祝福を完成した本然のエバ(神の真の子女)となっていたということは原理的にあり得ません。さらにが大母様も、その夫となる男性も、等しく原罪の中にある人たちなので、その両親は間に誕生した子女も原罪を持っているというのが、当然の結論になります。

※韓女史が文先生の娘であったという説を主張する人もいるようですが、真偽は定かでありません。しかし仮にそうであったとしても、本然の結婚を経ない状態における再臨主との性的な関係で、その相手となった女性や生まれた子女が血統転換されるという原理はありません。(詳細は後述)

たとえ神が働いて大母様に聖霊を降ろしたとしても、あるいは天使が受胎告知に現れたとしても、奇跡的に堕落人間の血統を転換し原罪を取り除くことは できません。それができるのであれば、複雑な血統転換摂理など必要なかったはずです。血統転換は厳密な原理原則を通じて成されるしかないのです。

また文先生が神の実子圏に立つメシアであったとしても、その妻となるべき韓女史が公式路程を歩まず原罪を清算しないままでは、本然の御聖婚式は成立しません。したがって、私たちが今日まで、〝真の御家庭〝とお呼びしてきた御一族も、私たちと同じような〝条件的な祝福家庭〝だったといわざるを得ません。

文先生は韓女史が神の真の血統を持っていなかったということ、そして真の血統持っていない母から誕生した子女も、真の血統にはつながらないことを明言しておられます。

だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。(「女性訪韓修練会御言集」P186 真の父母と重生)

復帰されたエバの立場で女性が誕生するのは簡単なことではありません。イエス様が原罪清算の条件を持って誕生されたのは、蕩減復帰原理の歴史的・原理的プロセスを厳密に通って来られたからです。イエス様を誕生させるにあたっては、アブラハム以来の約2000年間にわたって男性を復帰するための歴史的蕩減条件が立てられていました。ヤコブが天使と戦いイスラエルの称号を勝ち取ったことも、兄エソウとの間で長子権復帰したことも、重要な蕩減復帰条件でした。そしてその 条件は最終段階において、エルサレム神殿で祭司の立場にあったザカリヤと、エリサベツ・マリアの信仰基台へと連結されます。その信仰基台の上で、ヨセフ(サタンを象徴)の妻(婚約者)の位置にあったマリヤを、復帰天使長の立場のザカリヤが奪ってくるという蕩減条件を通じて、復帰されたアダム=メシアシップの条件を持った立場でイエス様が誕生したのでした。

※実際の歴史ではさらに非常に複雑な復帰路程がありましたが、ここでは省略いたします。

文先生は、復帰されたエバの条件を持った子女がザカリヤ家庭の中で洗礼ヨハネの妹として誕生しなければならなかったと語っておられます。同じように、再臨主の相対となるべき女性が誕生するためには、文先生の氏族的基盤としての「再臨型ザカリヤ家庭と再臨型ヨセフ家庭」が一体となって、復帰されたアダムを誕生させた後に、復帰されたエバを誕生させなければなりませんでした。

しかし残念ながら再臨主の誕生の後、再臨型ザカリヤ家庭に女の子が誕生したという形跡はありません。したがって、復帰されたエバとして、原罪清算の条件を持った(本来的に文先生の相対者となるべき)女性はいなかったことになります。

韓女史は「再臨型ザカリヤ・ヨセフ家庭」とは何ら関係のないところで、1943年に誕生しておられます。年齢的にも相応しくありません。したがって原理的観点から見れば、韓女史には原罪を清算するための準備された環境がなかったことが分かります。

大母様が所属していた腹中教の基盤は、第一次摂理としてのザカリヤ家庭が失敗した後に、蕩減的な意味で必要となった第二次摂理において準備された基盤であって、韓女史を原罪のない子女として誕生させるための教団ではなく、そもそもその条件も有していません。原理的な条件が整っていないのに、韓女史が原罪のない神の「独生女」として誕生することは不可能です。

原理的にはあり得ない「独生女」

聖書に、アダムの肋骨でエヴァが創造されたと記されているように堕落女性の血糖てんかんはアダムである飯屋によらなければできないにもかかわらずエヴァが先に歩いが一人で血統を転換されたむ現在の居場として誕生することは原理的にはありえませんしかし現在館女子が家庭連合の信徒たちに語られる語られる内容は文先生の原理観とはかけ離れたものになってしまっていますその中でも最も 深刻な原理的問題として取り上げなければならないのは館女子が台中から結党された状態で血統転換された状態で生まれたという独占の理論ですそのように10は厳しい環境の中で独占欲独占よ私を誕生させるために私の周りの環境を作ってくださいました中略そのように生まれた人が私でしたそのためサタンは知っていましたこの子が生まれることによって再臨メシアが真の父母になって自分は永遠に急財布の死ぬことになるのでこの子を殺してこそ私が生きると考えて私を殺そうとしましたところがその途端ところがそのサタンと戦って勝ちましただから今日私がいるのです2016年2月15日日本 公職者研修会でのお母様のお話ようやくこの内容について家庭連合ではあれこれ競技解説をして正当化を試みていますが原理的観点からはもちろん論理的にもとても納得のいくものではありませんそもそも優秀なはずの共学担当者が本気でこの内容を信じているとはとても考え難いものがあります心理でも買うのではなくとにかく自らの立場を守るだけの御用学者になってしまっているのではないかと危惧しておりますまた間女子は下記のように誰からも教育を受けずに復帰摂理歴史を知ったと語っておられます私の歴史の中で環境創造がすでになされていたので誰も私に語らなくても自分で知ることができましたそのことに意義がありますか言ったでしょ 私はお世話になった幼かったけど、復帰摂理歴史を知っていたと私は誰からも教育を受けませんでした。私はお父様にお会いした時、全てが分かったというのです。環境創造の中で生まれ育ったので私がしなければならない私が成就しなきゃならない使命を知ったというのです。資料2012年8月12月25日チョンジョンウンもちろんこの話も文選手がみことばに真っ向から反対する内容になっています文先生は次のように語っておられますキリスト教が迫害したために仕方なしに何も知らない十代のお母様お迎えなければならなかったのです何も知らないお母様を教育して再び。 によって作り変えるのですですからお母様の背後には血糖がなかったのです親戚関係がいなかったのですお母様として召される方は霊的関係が満たされたところから来られるのではありませんかけたところから生まれましたあの女性は家庭もよく父母も良く全てを備えているからというようにはいかないので文先生みことば全集505123ページ家庭の伝統かんざしが文先生に初めてお会いされたのは13歳の時でした17歳になるまでの四年間では第一スクープ関西血糖復帰のための成長予定を完遂することは不可能です男性も女性も厳密に何年間の復帰原理的な公式. UI もなければならないのです原理も何も分からない状態で関女子はいつどのようにして 女性のあるべき道原理的な公式予定を歩まれたのでしょうまた前述したようにも現在のサイレン首都現在を持ったままの女性が結婚し夫婦関係を持ったとしてもそのことでエヴァが一瞬の間に血統転換されるという原理はありませんアダムと夫婦関係を持つことによってアダムの決闘に連結されるなどという話は生物学的にも原理的にも間違った考え方です文先生は夫婦県夫婦関係は血統的につながりませんと明言しておられます会いには10滴アイ横手気合があるのです父子関係は立てて気合であり夫婦関係は横的関係です立てて気合は 血統的に繋がり夫婦関係は血統的につながりません女性奉還修練会御言葉集12ページ真の自分を探しましょう人や組織を盲信しないための御言葉絶対主義の時代今家庭連合は先生が霊界に行ったならばお母様を絶対中心として絶対的に一つにならなければなりませんという意味言葉を根拠にお母様に忠誠を誓い無条件に服従することが正しい信仰であるかのように指導してます弁当はただ一つ真のお父様を中心として他の誰かのどんな話にも影響されてはいけません先生が教えた御言葉と先生の原理のみ言場合以外にはどんな話にも従ってはならないのです今先生を中心としてお母様を建てました先生が霊界に 行ったならばお母さんも絶対中心として絶対的に一つにならなければなりません至急区85号68頁祝福二世の行くべき道1994年12月24日イーストガーデンしかしこの御言葉の前後には次のような内容があります前。 今から地上天国を建設していく中において君達の伝統は先生の直径の使用等を中心とした伝統ではなくゴゴスマを中心とした伝統だということをはっきり知らなければなりません あと今お母様が行く道はお父様が今まで建てた御言葉と説教集を中心としていかなければならないのです他の言葉を許しません今度韓国においても御言葉絶対主義を取ることができるように措置したのですどのような御言葉も第2の御言葉を許しません食欲85号68頁祝福二世の行くべき道1994年12月24日イーストガーデン私たちが本当の意味で中心とすべきなのは人や組織ではなく文先生の御言葉に他なりません現在家庭連合はその絶対中止にすべき御言葉を自分達の都合で解散し重要な御言葉を隠蔽していますこれは神と西人種に対する恐ろしい反逆行為として記録される 御言葉絶対 次の時代スピーチのうまさや見た目の印象雰囲気甘い言葉や正義感王冠をかぶった回数というような基準で人や組織を選ぶのではなくに言葉を深く訓読しつつそこに示された紙と再臨主の真の願いを悟って自らの進むべき道を極めるべきです