統一教会時代は成約時代ではなかった!

「第三イスラエルの終焉と新しい時代の始まり」

絶望的状況の中で掲げられた統一教会の看板

エス様の路程においても旧約聖書に二通りの予言があったように、再臨主の場合も神が願われた本来の栄光の道と、選民圏が失敗した場合に起きうる十字架の道がありました。イエス様は、ユダヤ教の失敗により33歳の若さで殺害されました。原理講論には、十字架が本来の摂理ではなかったということや、それでもなぜその道を行かざるを得なかったかということなどが詳細に記述してあります。ところが再臨主に関しては、終末の世に韓国に降臨されるというような予言的な話だけで終わっています。原理講論が発行されたのは1966年であるにも関わらず、1920年の再臨主の誕生からそれまでの46年間の歩みや摂理に関しては何も解説されていません。もちろん、1966年以降に再臨主が歩まれるであろう路程に関しての原理的な意味や具体的内容に関しては一切書かれていません。

したがって、再臨型ザカリヤ家庭(詳細は後述)や洗礼ヨハネの再臨型人物である金百文の失敗、腹中教の許孝彬の失敗、そして再臨主の十字架路程であった興南強制労働所での3年間苦役など、再臨主の路程を知りえるうえで極めて重要な内容は全て伏せられたままになっています。これらはみな、再臨主を迎えるためのキリスト教の基盤が崩れてしまったことを示す重大な出来事でした。準備された選民圏が失敗したのであれば、それ以降の神の摂理は、当然本来の計画と違う方向へと変更を余儀なくされたと考えなければなりません。

劉孝元先生が原理講論を書き終えたばかりの時には、現在の3倍の内容が記述されていたとも聞いたことがあります。もしかしたら再臨主誕生後のこともある程度は書かれていたのかもしれません。しかし何らかの理由で、あえて文先生がその重要な内容を削除された可能性もあり得ます。

原理講論の最後の章である「再臨論」には、再臨主は韓国に誕生されることを説明(P586)した後に、旧約時代のユダヤ教が失敗した内容を示し(P599~P602)、私たちはその教訓を知って確実にメシアを迎えなければならないという説明があり、「最後に賢い者は悟るでしょう」(ダニエル12・10)と語ったのである。」と記してあります。この締めくくりの文章は、あたかもこれから再臨主を迎え人類救済の摂理が始まるかのように受け取れる表現となっています。そのため、原理講論学び、韓国に誕生された文先生を再臨主として迎え入れた私たち(統一教会の信徒)は、かつての第一イスラエル選民(ユダヤ教)の失敗ようにメシアを十字架につけることなく、「賢い者」として神の摂理を受け継いだ直系の立場に立ったと理解(誤解)してしまったのではないでしょうか。

しかし、この捉え方には大きな問題があります。即ち、再臨主を迎え入れなければならない本来的基盤はキリスト教徒たちであって、1954年に創設された統一教会の信徒たちではなかったということです。もちろん原理セミナー等ではそういうことも講義されてはきましたが、キリスト教の本来の摂理が失敗した事の深刻さは十分には伝わっていなかったように思います。それ以上に私たちに対する期待や使命を訴え、これからの摂理を希望的に伝えるという伝動戦略上の要請もあったのかもしれません。

世界基督教統一神霊協会」の看板が掲げられたのは1954年。この時すでに再臨主はキリスト教を中心とした家庭・氏族・民族・国家・世界基盤を失い、メシアとして成すべき霊肉の実体救済の道はすべて閉じられてしまっていたというのが、御言から読み解かれる摂理の現実です。

金百文と許孝彬の不信により準備されたキリスト教の基盤がすべて崩れた後、興南での十字架路程を越え、復活された文先生が新たな道を模索し出発したのが統一教会の小さな基盤だったのです。原理講論が書かれた1966年は、それから12年も後のことでした。

統一教会の救済基準は霊的救済圏に留まるキリスト教と同じ

エス様はユダヤ教を捨てて、新しいキリスト教を中心として、霊的でありながら出発したと同じように、キリスト教が反対した場合には、新しい方向を通して二度、そのキリスト教の基台を作り変えたという基準をつくらなければ、復帰実体蕩減基台をつくることはできません。それを今まで成そうとしてやったのが統一教会の先生だよ。世界的統一教会なんだよ。(「祝福家庭と理想天国Ⅱ  P160 真の父母と我々)(「御旨と世界」P159)

かつてイエス様が、ユダヤ教の失敗により十字架にかかり、復活された後に第二イスラエル選民として霊的救済圏のキリスト教を立てられたように、文先生も1948年には興南の十字架路程に入られ、1950年に解放(復活)されました。

その後、約10年間の蕩減的な準備の後の1960年、既に40歳になられた再臨主が 17歳の韓鶴子女史をを新婦として迎えたのでした。この年齢の差からも、その時の結婚式が本然の原理的な内容ではないことが分かります。摂理的に見れば、第二イスラエル選民圏ではなかった弟子たちに条件的祝福を与え、その「祝福家庭」を中心として、第二イスラエルを蕩減するための第三イスラエル圏を拡大していくこととなったのでした。

先の御言には再臨主の摂理においてキリスト教が反対した」ために、「イエス様はユダヤ教を捨てて、新しいキリスト教を中心として、霊的でありながら出発したと同じように」、再び神が摂理を進めるためのキリスト教に代わる新たな霊的基盤としての第三イスラエル選民圏を必要としたことが明示されています。即ち、「世界的統一教会の基盤は、「新しい方向を通して二度、そのキリスト教の基台を作り変えたという基準」を立てるものだったのです。

神側では、祝福家庭を誕生させることによって、新しいイスラエル圏を編成しなければなりません。だから、1960年からは、神側の運勢が上がっていきます。そこから家庭・氏族・民族時代を経て世界時代に向かっていきます。(「祝福家庭と理想天国 Ⅰ 」P1058 第六章 ご父母様の聖婚と祝福家庭)

1960年から、「新しいイスラエル圏を編成」して、再びキリスト教の基盤に代わる「家庭・氏族・民族時代を経て世界時代に向かって」版図を拡大していくようになるのです。

即ち、「祝福家庭」の基盤はキリスト教の基台を作り変えたという基準としての、具体的に神の摂理を担う活動人材としての「復帰実体蕩減基台」(冒頭の御言)なのでした。したがって、原理的な救済基準は、霊的救済圏に留まるクリスチャンと同じであると考えるべきであり、その使命は再び地上にメシアを迎えるためのものだということになります。

神は世界を復帰するべく、その独り子を遣わす前に、そのメシアを迎えることのできる信仰の基台を立てるために、個人から始めて国家へと拡大して、その道を一歩一歩整えて、準備しなければならなかったのであります。結局のところこの世界は、今日まで、ずっとサタンの世界でありました。もしメシアがこの地上に準備された基台もなく来られるならば、サタン世界は彼を殺してしまうに違いないのです。ゆえに神は一つの国家、即ち、御自身が支配することのできる一つの主権を打ち立てるために、こつこつと、注意深く働いてこられたのであります。イスラエル選民はそのメシアを迎えるための準備の結果として生まれたのでありました。神は、イスラエルの国を、メシアの〝着陸地〝として準備されたのです。(「祝福家庭と理想天国 Ⅱ  P388 キリスト教の新しい未来)(「御旨と世界」P379)

神がイスラエル選民を用意される最大の目的は、「メシアを迎えるための準備」であるということを私たちは理解しておかなければなりません。

第一イスラエル選民であるユダヤ教が、メシアとして来られたイエス様を迎えることに失敗したと時、神は再びメシアを地上に派遣するために、新たに第二イスラエル選民としてのキリスト教を準備されました。しかし第二イスラエルが再臨主を迎える摂理を失敗してしまった時には、再びメシアを迎えるための基台を新しく準備しなければ、神は復帰摂理と進めることができないのです。

それで、神の復帰摂理は第三番目のイスラエル選民として「祝福家庭を誕生させることによって、新しいイスラエル圏を編成」したということになります。それが、1954年に設立された「世界基督教統一神霊協会」だったのです。従って、統一教会の設立された重要な目的は「メシアを迎えるための準備の結果として生まれた」ものであると理解すべきなのではないでしょうか。

問題は、再び文先生をメシアとして迎えるための基台なのか、それとも、新たなるメシアを迎えるための基台として作られていくのかということです。(詳しくは後述します)

統一教会は成約時代ではなかった

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原理的にみれば統一教会の救済基準は、クリスチャンと同じように霊的救済圏に留まるものであったことは、祝福家庭の現状を見ても納得せざるを得ないのではないでしょうか。

しかし統一教会では、〝祝福式〝がキリスト教を超える基準に立つための、聖書に預言された〝子羊の婚宴〝の儀式であるとして宣伝、教育してきました。信徒たちは、その祝福(条件的祝福)を受ければ原罪が清算され、さらに結婚することでイエス様の基準をも越える位置に立ち、天国に入ることができると信じたのでした。

文先生の御言を整理すると、統一教会を中心とした摂理時代は神や再臨主にとって本来のものではありませんでした。これまで述べてきたように祝福家庭はキリスト教の失敗を再び蕩減復帰し取り戻すために立てられた基盤でした。原理講論が完成した1966年当時は十字架から復活した再臨主を中心として、統一教会という名の二次的な蕩減復帰摂理のための新たな選民圏が始まった早創期だったことが分かります。

第1次、第二次イスラエルが失敗した基盤の上には、旧約、新約が失敗した上には成約を成立させる事ができません。それは、必然的な運命です。(「ファミリー2001/6」 P10 「米国50州巡回講演」祝賀会)

私が願う祝福家庭は本然の祝福家庭です。本然でない祝福家庭が、現在の未完成状態にある祝福家庭なのです。これを「条件的祝福家庭」と言うのです。この両者を混合してはいけません。(「祝福67号」P70 祝福を受けた者たち)

考えてみれば、新約時代が失敗しているにもかかわらず、それを蕩減しないままに成約時代を迎えるという原理はありません。したがって、統一教会時代は、神が約束された堕落人間の実体救済のための成約時代ではなかったのであり、そこにおいては本然の子羊たちの婚宴もできないということになります。たとえ祝福式に参加したとしても、それは「本然でない」「未完成状態にある条件的な祝福家庭」なのです。摂理的にみれば、これまで統一教会が歩んできたのは、天国建設時代(成約時代)ではなくその時代を迎える準備のための「成約的蕩減時代」であったということになります。

新約時代が失敗したのであれば、それを蕩減復帰しなければ、次の新しい時代を発展的に迎えられないというのが原理の原則です。そもそも、新約時代もまた第一イスラエルであるユダヤ教徒の失敗を蕩減復帰する時代であったのですから、統一教会時代は、「第1次、第2次イスラエルが失敗した基盤」の蕩減復帰が必要となります。ゆえに旧約時代や新約時代の歴史に見られた様々な社会問題(腐敗・堕落)が再度顕現するようになるのです。

そのため、天国の理想とはかけ離れた現実的問題が噴出してくる同時性的運命の中にあったといえます。さまざまな基盤が作られては崩れ、最終的には真の御家庭までが分裂してしまうという理解しがたいことが起こってしまうのは、こうした摂理的理由があったからにほかなりません。

統一教会の摂理的位置

各宗教、特に第一 ~ 第三イスラエルにおける救済論を「自力と他力」という観点から比較すると次のような見解になります。

統一教会」即ち、「旧世界基督教統一神霊協会/現平和世界平和統一家庭連合」は、「第二イスラエル」である「キリスト教」が、文先生を「再臨のイエス」として受け入れることが出来なかったことに対する〝最終的な蕩減(成約的蕩減)条件〝を立てるべく形成された、人類史全体の蕩減復帰の縮図としての「蕩減的第三イスラエルだったという事実が、「御言」から明らかとなっている。

しかも、「第三イスラエル」としてのも最も重要な「40年路程」は、3家庭から4億双までの「祝福家庭」が形成された「1960年~2000年」「40年間」であり、この40年間は、「ユダヤ教」(第一イスラエル)の2000年と、「キリスト教」(第二イスラエル)の2000年との合計である「4000年」を、圧縮して蕩減復帰する期間だったということが明らかとなっている。すなわち、統一教会40年の前半の「20年」は、「ユダヤ教」を蕩減復帰する期間であり、後半の「20年」は「キリスト教」を蕩減復帰する期間だったのである。

したがって、「統一教会の時代」は、真の意味での「成約時代」ではなく、あくまでも「第一イスラエル(ユダヤ教)」と、「第二イスラエル(キリスト教)」の摂理的失敗を取り戻すための、「成約的蕩減時代」だったのである。ということは、「自力と他力」における〝真の止揚統一〝は、統一教会時代には未だ成就しておらず、あくまでも〝成約時代の理念〝として提示されたに過ぎないことが分かる。(図を参照) 

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つまり、〝止揚統一された〝のではなく、ただ、前半は「自力」、後半は「他力」という具合に、第一イスラエルと第二イスラエルの救済論が、「統一教会史」の中で〝反復・再現〝されたということなのである。

しかも、現在の統一教会(家庭連合)は、ある意味で、ユダヤ教的「自力」的部分は大きく後退し、後半の「キリスト教型の救済論」である、「祝福式(サクラメント)」に参加すれば、「原罪の清算」を始めとする絶大な〝恩恵(罪の赦し)〝を受けられるとする、かつてボンフッファーが、「安っぽい恵み(cheapgrace)という死体のまわりを取り巻く鷲の如き集団」と揶揄したような、安易な「他力的救済論」のみが、極度に強調され、蔓延しているようにも思えるのである。

「御言と原理から読み解く摂理観」より