メシヤ再降臨準備時代を成したのはキリスト教でも韓国でもなく日本だった!

「日本は神側に立てられた国家」第6章

「再臨の時のために神が準備した国・日本」より 

天皇家古代イスラエル民族

日本の天皇家は紀元前660年、神武天皇が大和平定に成功し、即位した日2月11日建国記念の日から始まるとされていますが、古事記日本書紀によれば神武天皇は、伊弉諾尊(イザナギ)・伊弉冉尊イザナギ)から天照大御神を経て七代目に誕生したことになっています。神武天皇の物語の核心をなす「東征(東にに向かって進む)」は、 皇室の強い遠い祖先が西方から来たという記憶が反映しているとみる説もあります。

神武天皇までの七代を一代25年で計算すると、約200年の歴史が加算されることになりますので、紀元前900年頃に、日本に最初の「神」が西方から東に向かって進み来て、日の出る極東の島国にたどり着いたということになるようです。

 これを統一教会で学んだ歴史の同時性に当てはめてると、丁度、ソロモンの時にイスラエル国家が崩壊して南北に分裂し、北朝イスラエル民族が行方不明となった頃に当てはまります。そして、現在の考古学者たちによって、 北朝イスラエル民族がシルクロードを東へ大移動していた可能性があるのではないかと科学的研究が進められています。

それらしき、物的証拠や文化的類似点などが数多く発見されていますが、まだ、公式な学術発表はありません。しかし、これが事実であれば、私たち日本人のルーツはアブラハムから続くイスラエル選民であったことになり、日本への宗教伝来は、ユダヤ教がその始まりである可能性も否定できないのです。

そしてこれは、朝鮮半島にもイスラエル選民やユダヤ教流入し、血統や文化的な影響を与えていた事をも示唆しています 。再臨主である文先生のルーツが、 第一イスラエル選民から引き継いだものだったとすれば、原理的に重要な意味を持つことになります。

フランシスコザビエルのずっと前に東周りのキリスト教が伝来していた

宗教史的観点からは、日本には紀元200年頃に原始キリスト教が伝来し、300年頃には、渡来系氏族である秦一族がキリスト教信仰をもち、数万人規模で日本に入り込んできたという研究発表も数多くあります。

これらのキリスト教は、パウロやペテロがローマに伝えた「西回りのキリスト教」と違い、トマスが「日が昇る国」を目指してシルクロードを通って、東洋に広めた「東回りのキリスト教」の流れを汲むものでした。西洋ではパウロ神学を中心とするキリスト教が広まったのに対し、東洋には主にネストリウス派が中国や日本にまで伝わっていったという説もあります。ネストリウス派は、カトリック教会の聖母崇敬のようにマリアを「神の母」とは呼ばず、「キリストの母」と呼ぶことによって、キリストの「人性」を明確に示そうとしましたが、431年のエフェソス公会議で退けられ、異端とされました。

その後、ネストリウス派は、中国に渡り「景教」となりました。真言宗の開祖である空海は中国に渡り景教をを学んだと見られており、仏教研究者の中には景教の影響が真言宗に色濃く認められると主張する学者もいます。

景教は、秦氏によって日本にもたらされたという学説もあります。真言密教の本尊である大日如来は、宇宙に偏在する仏で、どことなくキリスト教の神と似た雰囲気を持っています。

また浄土真宗の開祖である法然の母親は「秦」姓の人ですし、法然の弟子である親鸞浄土真宗本願寺派本山である西本願寺には、景教の聖書の一部「山上の垂訓」の漢訳である「世尊布施論」が大切に所蔵されています。罪深き衆生も慈悲深い阿弥陀如来が救ってくださるという浄土真宗の救済観は、まさにキリスト教とそっくりです。

一般的に学校教育などでは、キリスト教は1549年にフランシスコ・ザビエルが日本に初めて伝えられたと教えてきたのですが、最近の考古学的研究や文化人類学の観点からは、日本には紀元前約900年頃にユダヤ教が伝来しており、イエス様が十字架にかかった後すぐに原始キリスト教ネストリウス派の教えも伝わっていたことになります。

仏教伝来が紀元後538年ですから、それまでの約1500年間、日本はユダヤ教キリスト教の同居する国家だった可能性があります。その後、それら聖書からの宗教は神道の中に色濃くその影響を残しながら、儒教や仏教とも融合し、今日まで継承されていると考えられます。

諸宗教の和合が実現していた日本

聖徳太子によって作られた十七条憲法は、異宗教同士をも調和させようとするもので、「大和の国」日本は、その名の通り、すべてを調和的に融合した「宗教統一のモデル国家」でもあるのです。ちなみに、聖徳太子厩戸皇子(うまやどの皇子)と呼ばれるのも、イエス様が馬小屋(飼い葉桶)で生まれたことと何か関係があるのか、不思議な意味を持っていそうです。

原理的観点からこれらを分析するならば、日本には第一・第二イスラエル選民の宗教・伝統・文化が根付き、神武天皇から現在の平成今上天皇まで、125代(2015年当時)もの血統を継承した王をいただく世界の類のない国家なのです。ギネスブックでも神武天皇の伝承を基に、日本の皇室を世界最古の王朝としています。

もしも、日本の歴史上に、天皇を中心としたイスラエル民族統一国家が作られたならば、その国こそ、第一、第二イスラエルが失敗したメシアを迎えるために最も重要な「国家的蕩減」を払い、歴史上初めての「神側の選民国家」となるということができるでしょう。

原理講論によると、「メシア再降臨準備時代とは、西暦1517年の宗教改革が始まった時から、1918年第1次世界大戦が終わるまでの400年間」(P510)ですから、日本の歴史でみると、1467年の応仁の乱を期に始まった戦国時代から、江戸の鎖国時代を経て、大正時代の中頃までの約400年間になります。この時代に統一国家が作られければ、再臨主を迎える原理的な条件を整えることができません。

日本の歴史を見ると、三代の武将によって戦国時代を平定し、天下統一された国家が構築されたことは周知の事実です。サウルやダビデが、士師サムエルから油を注がれて王として認められたように、一代目の織田信長は若くして暗殺されましたが、二代目の豊臣秀吉天皇から関白の位を授かり、三代目の徳川家康征夷大将軍の地位を天皇から授かった、国家の統治者(王)でした。

旧約聖書の中に記された、サウル・ダビデ・ソロモンの三代の王が、神の祭事を行う中心人物から油を注がれ王位を認められ、国家の統治者となったことと同じ儀式が日本で成されていたのです。

この時代こそ「メシア再降臨準備時代」の始まる歴史の入り口だったと考えられます。三代目のソロモンの立場に立った徳川家康が、国家安泰の世を実現し、その後1867年まで15代265年間の長きに渡り、天皇と共に国家の平和と発展を成し遂げるのです。

この内容が、ユダヤ教キリスト教が失敗した統一国家を取り戻す原理的条件として成立していたと仮定すれば、神の復帰摂理上最も重要な〝再臨主を迎えるための準備〝が整ったことになります。

メシアを迎えるための国家的基盤なくしては、完成形の第3アダム(再臨主)を迎えることが原理的に不可能であるため、ユダヤ教キリスト教の宗教的伝統や文化が融合した「大和の国」に、神の復帰歴史を完成させるための最後の重要な使命が神から与えられていたと見ることはできないでしょうか。

そしてこの国「日本」に、1920年に再臨主を迎えなければならない摂理的な理由があったのでした。

「日本は神側に立てられた国家」第6章 より