メシヤを迎えるための国家基準とは?

「日本は神側に立てられた国家」第3章より 

ヤコブは勝利するために天使を屈服させている。それから エサウを屈服させた勝利圏を持って、そこにおいて新しい神の管轄基盤を広めて、イスラエル民族とユダヤ教の基盤において選別した圏をつくって国家基準を準備した上にメシヤを送る。これが神の計画だった。」(御言選集55 P79 メシアと我々)

前回の記事の説明の中でも、神はイスラエルの国を「メシヤの”着陸地”」として準備されるという御言を紹介しましたが、残念なことに、第一・第二イスラエルはメシアを迎えるための国家的基盤を失い、その上、サタンの侵入までも許し、結局はメシアを十字架に架け摂理を失敗させてしまいました。統一教会では、イエス様が十字架にかかった最も重大な原因を、「洗礼ヨハネが失敗した」ことと説明し、再臨主の時も同じく、洗礼ヨハネの再臨型人物である金百文の失敗だと教えてきましたが、 果たしてそうでしょうか。

 それ以前に、メシアの着陸地であるイスラエル国家が分裂し、選民圏にサタンが侵入した状態のままメシヤを迎えたことの方が、もっと深刻な失敗だったのではないでしょうか。また、神の選民たちが異教徒のローマに支配され、民族としての主権がなかったということは、洗礼ヨハネの失敗以前に、そもそも重大な原理的問題があったのです。

統一教会では、洗礼ヨハネがイエス様と一体化できれば、イスラエル民族全体が連結されたはずだったと教えてきましたが、当時のイスラエル指導者たちは洗礼ヨハネ(グループ)を荒野神霊集団(霊的集団?分派?)とみなして、異端者的な扱いをしていたのですから、実際の歴史を振り返れば、状況はそう簡単ではなかったということがわかります。つまり、仮に洗礼ヨハネイスラエル民族を代表する摂理的立場にあったとしても、現実には、当のイスラエル選民圏に約1000年も前に サタンが侵入し、神の基台としての基盤がすでに崩れていたということです。

また、それとともに深刻な問題として、イエス様の誕生に際して洗礼ヨハネの両親であるザカリヤ家庭とヨセフ家庭のアベル・カイン家庭が、その使命を失敗していたということが挙げられます。

聖書には、ザカリヤヨハネの受胎に関して啓示を受けたことや、聖霊に満たされたエリサベツが、イエスを身ごもったマリアを祝福したことなどが書いてあります。その頃は、二人とも我が子であるヨハネ庶子として生まれてくるイエス様が、特別な使命を持った存在であるということを知っていたはずです。そしてイエス様を守るべきヨセフとマリアにも同様に、神は天使を通してことの重要性を告知していたのでした。

しかし聖書には、洗礼ヨハネとイエス様の遭遇の場面で、ザカリヤとエリサベツ、ヨセフとマリアが協助したという記述が何もありません。それは、この大切な家庭的基台がすでに崩れてしまっていたことを物語っています。

要するに、イエス様と洗礼ヨハネが出会う時点で、既に、家庭的、氏族的、国家的な基台が崩れていたということです。それゆえ、仮に洗礼ヨハネがイエス様と一体化していたとしても、その後の家庭や民族、そして国家的摂理を全うしていくのは極めて困難な道だったろうと考えられます。

このような深刻な事態は、再臨主の時も同じような状況にあったことを知らなければなりません。当時の朝鮮において霊的集団(血分け集団?)のリーダーとして異端視されていた金百文が、仮に文先生に従順に従ったとしても、それで第二イスラエルキリスト教)全体の基盤が連結されるということは、常識的にはとても考えられません。

統一教会内でさえこれほど分裂状態にあるのに、血みどろの争いを繰り広げてきたキリスト教諸派が、どうしてそんなに簡単には和合できるでしょうか。 

少し、横道にそれました。この問題は、メシアを迎えるために、選民圏は何をすべきだったのかという、極めて重要なテーマを含んでいるので、また別の機会に深く掘り下げることにして、本原稿のテーマである「国家」の話に戻りましょう。

 

f:id:nihonwakamigawa:20200412150730p:plain

上記に示す図は、文先生が人間完成と理想世界の完成が「縦横の8段階公式路程」として連結されて成されることを解説されたものです。五段階目で「実子」と「国家」が連結されており、両方が一つになっていなければならないことを強調されました。

この5と5を合わせた2004年5月5日が、「双合十勝日」となったのです。「実子」は「神の子」であり、メシヤがその位置に立って使命を果たさなければなりませんが、そのためには、実子に連結されるべきイスラエル選民の「国家」基盤がなければならないのです。

神の子としての実子の位置は、当然、長成期完成級を越えた位置なので、長成期完成級以下を治めているサタンを屈服させなければ立てません。たとえメシヤが個人的に縦的基準を立てたとしても、堕落人間の、家庭、氏族、民族、国家を長成期完成級以上の神理想世界に連れて上がるには、その前に、イスラエル選民がメシヤを受け入れた国の基盤がなければ堕落人間の救済ができないのです。

エス様は、氏族的メシヤの責任を果たせませんでした。氏族的メシヤの責任をなぜ果たせなかったのでしょうか?反対したからです。その時は、教会が反対し、イスラエルの国が反対し ローマが反対しました。(宗族的メシヤページP25 氏族的メシヤに対する中心的御言 本部教会)

サタン圏は、ローマを中心として国家による強大な権力を持っています。それに対し、イスラエル選民が国家を持たず、主権がなければ、どのようにしてサタンの攻撃からメシヤを守り、神の国を建設するのでしょうか。

しかも、イスラエル選民圏自体にサタンが侵入していては、メシヤの使命を果たすことはおろか、その生命さえ守ることは難しいのです。「イエスを十字架にかけよ!」と叫んだのは、他でもないイスラエルの指導者達だったのでした。原理的観点から分析するならば、イスラエル国家が南北に分裂し、「神の管轄基盤」としての「メシアの”着陸地”」を失い、さらに、サタンが選民圏にまで侵入していたことこそが、メシヤが十字架にかけられた最大の原因だったと言えるでしょう。

上記の文先生の御言は、まさにそのことを指摘されています。

メシヤは一つの国に来られて、そのような使命を果たさなければならないという事を、皆さんははっきりと知らなければなりません。分かりますか?国家以上なのです。(御言選集55 P244 今後私たちがなすべきこと)

この御言は、1972年に韓国の中央修練所で語られたのですが、これはキリスト教徒に対して説明したものではなく、統一教会の食口達に訴えられた内容です。第一・第二イスラエル選民圏は国家基準を立てられなくて、メシヤを十字架にかけたのですが、それでは第三イスラエル選民である統一教会においては、文先生を中心とした統一国家が建設されていたのでしょうか。今日まで「主権復帰」を目標に様々な活動を展開してきましたが、未だ、韓国にも、世界のどこにも第3イスラエル国家を樹立することができていません。

このことから考えると、第3イスラエルもまた、文先生を心情的十字架にかけ続けてきたと言えるのではないでしょうか。

これは大変重大な問題です。国がなくて再臨主はどのように使命を果たすことができるでしょう。原理的観点から言えば、メシヤの使命を果たすことは不可能なのです。だからこそ、文先生は1972年の段階で「今後私たちがなすべきこと」という題名で、統一教会にメシヤのための国家が必要であることを訴えられたのでした。

そしてそれを、象徴的条件として取り戻そうとされたのが、アメリカでの7大都市の講演であり、1976年のワシントン大会の勝利圏でした。

また、その後に指示された5万、50万人の伝道でした。これは縦的な5段階と横的な5段階を象徴する国家復帰のための摂理だったのです。しかし、これは達成できませんでした。もちろん、これらの摂理はあくまでも「条件的な勝利圏」だということを理解しておかなければなりません。

実際には再臨主が主権を持った国家は、地球のどこにも出現したことはないのですから・・・。

さて、このように原理的観点から整理すると、神は6000年(聖書史)の復帰摂理歴史を導いて来られて、サタン圏を越える国家基準を一度も立てることができなかったのでしょうか?神は、国家基準なしに、完成形の第3アダムとしての再臨主を地上に送り、地上天国を成就させようとされたのでしょうか?

また、統一教会が国家的基準を勝利できていないにもかかわらず、何ゆえ、文先生は数々の勝利の日を決定でき、成約時代を宣布することが可能だったのでしょうか?

実は、そこには、今日まで解明することができなかった驚くべき日本の歴史と、統一教会時代に日本の食口達が果たした血と汗と涙の勝利圏があったのです。 

「日本は神側に立てられた国家」第3章より